能力で人を分けなくなる日~第3章~

この章のテーマは「開いた世界と閉じた世界」だけれども、その話についてはよくわからなかった笑
何回か読んで意味は分かったつもりだけれど、それがどこにどうつながってくるのかがあまり理解できなかった。まあそれは今の自分にはあまり必要のないものだと捉えて一旦置いておこうかなあと思う。

今回考えたのは「自立」というものについて。僕は今は一般的な、経済的に親から支援を受けていないという意味での自立には至ってないが、もし僕がそういう状態になっても自立したと声を大にして言うことはできないだろうなと思う。
僕はまわりの人に生かされていることは前の感想で書いたけれど、それは「弱さ」につながっている。一人で生きられないということは弱いことで、一人で生きるということは強いことだ。人間はもう一人では生きられない。昔は自分で狩猟をして、生きるということはできたかもしれないけど、今はほかの人に食べ物を作ってもらって、ほかの人が作ったもので移動して、、、
全員が、人に頼って生きているから、弱いから、もっと何もできない人たち(障害者、病気をもっている人たち、お金がない人達など)と
健常者、富裕層を二分することはできない。だから、そういう人がもっと生きやすくなればいいなと思う。
 このように自分は一人では生きていけていないから、自立したとはいえない。

そしてもう一つ考えたのは、「死」ということについて。この本の中には自分の死に方について書かれている。
僕の生きるというイメージは、みんなひとりひとりが繋がっていて、蜘蛛の巣のようにそれが無限に広がっていって、そこから落ちないようにお互いを引っ張りあっているようなそういうイメージ。(下の画像の赤いのが個人)

それこそ、この本の著者が言うように、日本(東洋)の関係の在り方、共同体のイメージ。


その中の個人は基本的には安定していて、そこから落ちない。(落ちる=死)でも、障害とか、貧困とかを抱えると、周りの蜘蛛の糸も減っていって、重力も加速して下に落ちてしまいそうになる。自分のうつのときは本当にそんな感じだった。人に助けてもらうことも減って、本当に死にたい気持ちが強かった。今も、あの頃に戻る可能性が少しでもあるなら、死んでおきたいという気持ちは強いし、普通に死んでおいた方が楽だろうなという気持ちがある。
でも、今は一応安定しているし、周りの糸があるからなんとか生きていられる。だから僕は「自分で生きている」という感じはあんまりしないし、なんとなく周りが必要としてくれているから、生かされているとかそんな感じだ。だから自分は弱い、自立していない。だから、蜘蛛の糸をふやそうとして、ほかの人に頼り、頼られる。そんな感じだ。

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