東山翔論――絶対的自由へ向けて

1:城郭都市

いまさら確認するまでもなく、非実在云々という概念がある。言うまでもなく、児童ポルノ禁止法、「表現の自由」等々、もはや聞き飽きた議論に関わっている。ここではマンガを例にとる。

「表現の自由」の擁護者は、マンガを純粋なイメージの産物と捉える。すなわち、そこに実在の被害者が存在しないがゆえに、彼らにとってマンガは常に無罪であり、無垢であり、(それがいかに野蛮な内容であれ)本質的に健全ですらある。例えば、『エロスと「わいせつ」のあいだ――表現と規制の戦後攻防史』(朝日新書)では、児童を被写体にしたいわゆる着エロは、被写体になった児童の人権を守るという観点から規制されるべきであり、児童に対して性的虐待・搾取を行い、それを記録し、表現する自由などは存在しないという主張がなされたあと、次のような記述が続く。

しかし、純粋なイメージ、想像の産物である漫画については、性的倫理に反するからといって単純にそれを禁止すべきかどうかは慎重に議論する必要がある。いま述べたように、内心に留まるかぎり、どのような性的イメージをもつかは個人の自由であるし、いかなる個人をも現実に傷つけていないかぎり、それを表現することも原則的に自由だからである。(p.239)

現実から一切切り離された、純粋なイメージ。(おそらく)正論ではあろうが、どこかしら引っかかりも覚えなくもない。純粋培養の、他の世界、あるいは彼岸の。つまり、マンガはいかなる他者を傷つけることはない、という点で(その内容がいかに野蛮で反―道徳的であろうと)無害であり道徳的なのである。それが、現実から自律した「彼岸=他の世界」という一種の自閉性に留まっている限りは……。

彼らは、超越的な「他の世界」という彼岸において一つの都市を築き上げようと試みているように見える。その都市は、「純粋なイメージ」という点で絶対的に不可侵であり、イデアルなものであろう。

しかし、もちろんと言うべきか、都市があれば、その城壁の周囲には<戦い>がある。彼岸に対する戦い。彼岸に建設された城郭都市を瓦解せしめ、此岸において、他ならぬこの世界において別の現実を志向し肯定するための戦い。

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