憲法九条を守ることが何を意味するのかを考える。 -参議院選挙2022夏-

7月10日の参議院選挙まで二日となりました。今日も、今回の選挙を積極的平和主義、敵基地攻撃能力、反撃力などの先制攻撃こそが日本の平和のために重要なのだという改憲勢力の考えと、いかなる場合も外国に軍隊を派遣して攻撃してはならないという護憲勢力を比較してみましょう。


前回まで、改憲勢力と護憲勢力の結論の違いは、それぞれの戦略の違いというよりは国家にまつわる世界観の違いとして考えてみました。

改憲勢力が見えている現実では、日本とは、スポーツチームであり戦争とは日常です。誤解を恐れずに表現すれば、日本とは、競争のために団結している人間の集まりです。

そのため、外国に武力で侵略されないように、軍事費を増やして国家を強大にしたいと考えています。憲法九条は国民をあまやかす行為であり、日本に敵対的な人たちのイデオロギーです。

また、日本を日本たらしめているのは伝統と歴史です。


一方、護憲勢力が見えている現実では、日本とは、様々な人々が集まり好きに活動を行うためのイベントです。ルールを決めて、そのルールを守る人々の集まりが国家です。

日本には憲法があり、憲法には三つの柱と一つの前提があります。三つの柱は国民主権、基本的人権の尊重、平和主義です。

また、前提として、日本は象徴天皇制であり、日本国憲法とは天皇陛下と国民の間で交わされた契約とされています(憲法前文から)。

また、この世界観では、国家や政府は日本そのものではなく、政治家は日本の指導者ですらなく立法や行政を任されてるに過ぎません。日本の指導者は国民一人一人です(国民主権から)。


さて、以上の世界観を比べたときに、そもそも改憲勢力は国家繁栄を目的に政治を行うという動機があることが分かります。そして、スポーツにおいてプレイヤーはチームに尽くす義務があるように、国民は国家に尽くす義務があると考えるべきです。

改憲勢力が、経済的弱者、チームに貢献していないように思える人々に冷淡なのはそのためです。

また、日本という国を憲法、そして国民で定義するのではなく、伝統と歴史で解釈します。彼等にとっては、日本人らしくないというのは和風ではないという単純な意味です。


一方、護憲勢力は日本をお祭りの一種だと考えているので、ルールを守り楽しんでいる人々が日本人です。そして、隣の町で祭りが行われているからと攻撃する理由がありません。そればかりか、隣町の祭りを襲撃しようと演説している人は異常に見えます。

護憲勢力にとっては、政治家は国民に尽くす義務がありますが、国民が政治に尽くす義務はありません。祭りで、参加者が運営に尽くす義務はなく、祭りを盛り上げる義務しかないのと同じです。

また、日本を特徴付けるのは憲法と国民です。さらに言えば、社会契約論によれば国民とは憲法に同意した人たちのことなので、日本人らしさとは憲法の理念を守っているかどうかで判断できます。

また、基本的には国民は祭りの参加者なので、護憲勢力は、店を出している人とリンゴ飴を食べているだけの人、踊っている人に優劣を付けたいという動機がありません。

伝統や歴史、文化に対しても、せいぜいが祭りが行われている神社を壊すなという程度です。そこに日本の本質はありません。


日本の選挙は、政策の選挙であるというよりは世界観の選択です。私たちがどのような世界観で生きていきたいのか、そしてどちらの世界観が本当の現実なのかという問題です。



これから個人的な政治的立場を書きたいと思います。

私自身は完全な護憲派であり、護憲勢力を支持しています。理由は複数存在しており、第一の理由としては、アメリカ独立とフランス革命以降の国はそれ以前とは異なっており、貴族が支配する領地ではなく、人々が憲法を守り暮らしている場所であるとされているからです。

そのため、改憲勢力の世界観は現代にあっていない可能性があります。


第二に、改憲勢力の国防戦略が幼稚であり、率直に表現して戦争をなめているとしか思えないことです。抑止力という主張で外国を攻撃できる戦力に予算を費やすようですが、もし本当に中国やロシアが侵略してきた場合は抑止力より実力です。

全面戦争に確実に勝ち抜くためには、高い科学力と経済力、そして国内に入り込んだ敵兵士を確実に殲滅できる力です。そのためには、自衛隊の強化ではなく科学力の強化が必要です。

相手の国を攻撃できない国は侮られるという話ですが、科学力さえあれば短期間でミサイルは開発できます。そのため、自衛隊は戦車を持つ警察であれば十分です。

むしろ、改憲を行い、侵略力はあるけど、攻められたら容易に崩壊するような自衛隊に改造する方が抑止力の放棄に繋がる気がします。敵基地攻撃能力など強化している余裕はありません。相手は、脆弱な戦力しか持たないテロリストではないのです。


第三に、憲法とは、また法律とは守るべきものではなくて目指すべき理念だと考えるからです。まれに、憲法九条や平和主義は、現在の国際情勢に合わないという主張がありますが、無意味な議論です。

アメリカで表現の自由が完全に保証されていない(Twitter)、幸福追求権が完全には保障されていないからといって、表現の自由や幸福追求権が否定されることは絶対にありません。むしろ、より表現の自由や幸福追求権が保障されるように努力します。

同じように、平和主義を守れないからという理由で、平和主義を放棄する理由にはなりません。日本国憲法二十六条では、能力に応じて平等に教育を受ける権利が保証されていますが、これが理想論であるという理由で憲法から削除する必要はありません。

ましてや、憲法二十六条で義務教育は無償にすると書かれているため、すべての学校が憲法違反になるので改憲するべきだと議論する政治家がいたら端的に愚かです。

国民主権、基本的人権の尊重、平和主義、この三つの理念は時間をかけて実現していく日本の未来です。


四つ目ですが、日本国憲法は天皇陛下と国民の間で結ばれた契約であり、思いつきで変更されるべきではありません。明らかに不公平ならとにかく、決定的な問題が起きていないのであれば契約は守られるべきです。

ましてや、日本は日本国憲法を守ることで成功してきたので、わざわざ契約を結び直す必要はないと考えます。

陛下との契約を実現するのが難しいと感じたときに、契約を破棄することではなくて実現する方法を模索するべきです。昭和天皇と結んだ理念を、まだ放棄する段階にありません。

今の日本人が守るべきは、伝統と文化ではなく陛下の御心です。

そして、意外な結論かもしれませんが、日本共産党のような護憲勢力のほうが陛下の御心に忠実なのです。



今日は以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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