時間

時間は平等とか有限とか言われている。
鈴木自身は、時間の使い方がうまい方とはいえない。むしろ下手な方という自覚がある。
どのような時間の使い方をすればうまいと言えるかを考えると、人や環境に流されずに、自分自身がコントロールできる時間をしっかり持てることだと思う。
そして自主的に、自発的に活動することで、より充実した人生が過ごせるのではないかと思う。
(計画的にとか、逆算して時間を使うとかは、その応用編なのかと思う)

この6年ほど、残業時間が45時間/月くらいの忙しい部署にいたのだが、今年の1月から部署異動になって月の残業時間が10時間/月くらいにダウンした。
その結果、残業代は大幅に減ったのだが、平日の時間は増えるようになった。
(働き方改革とかでこういう状況になっている人は多いと思う)

今までは、家に帰って風呂、酒、寝るという刹那的で生産性がないことをしていたが、
早く帰れるようになったおかげで、noteを書いたり、図書館(家の近所徒歩3分のところにあった)で借りた本を読んだり、たまにゲームや好きな音楽を聴いたりと、充実した時間の過ごし方が出来ている。

時間に余裕が出てくると、これまでの6年間、正直なんだったんだろうなと煮え切らない思いがふつふつと湧き上がってきた。
仕事量が多くて自分自身でコントロールできない状態に追い込まれ、その仕事を一生懸命やっても評価もされず、否定ばっかりされて、人間関係も糞、胃の痛みや吐き気、突然あふれる涙。ここまでストレスを抱えて我慢してきたのは何だったんだろう、もっと早く上司や部署に対しての信用や信頼を失ったタイミングで異動すればよかったと、自己嫌悪に陥るときもある。営業から異動したときと違い、その部署に費やした時間が長い分、また仕事については面白いと思っていた分、半年たっても少し引きずっている。失恋と同じか。

しかし、部署を異動して、時間が有限であることに気づいてしまった。
気づいてしまったと言うよりは、今まで蓋をしていたのだった。
既に34歳。若者という年齢ではなくなってしまった。
自分自身に充てる時間を、もっと増やしたい。

休みの日の過ごし方も、変えようとしている。
趣味である草野球も、頻度を意図的に減らした。草野球への移動だけで往復2時間はもったいない話だ。やっても4時間2試合までくらい。
貴重な休みの日を野球だけやって終わりにしたくない。
もっと文化的な活動や、何かの出来事を消費するだけではなく、生産的な活動をしたい。
やりたいことは山ほどあるのだ。やりたいことを全てやってから死ぬと決めたのだ。

このことにようやく気づいただけでも、部署を異動した意味があると思う。
正直、仕事に面白さを今現在は見いだせていないものの、仕事に忙殺されていた状態から、自分自身と向き合ういい機会を得られることが出来たのだ。

人から言われるからではない、誰かの評価を得るためではない、鈴木が鈴木として充実して生きることを考えるのだ。

仕事についても、職種としてはもう一度調査系に戻りたい気持ちはあるし、部署としては、利益を追求するよりも、もう少し公共よりな視点を持つ部署や、畑違いのスポーツに携わる部署へ行きたいという思いもある。
あと、広島にもう一回住みたいという裏目標もある。
こうしたことをどんどん考えて、うまくデザインして、今後の仕事のあり方ややり方を軌道修正していくことで、充実した生き方を目指すのだ。
なんだかんだで、仕事に割く時間は人生のウエイトの多くを占めている。
であれば、やりがいがあって、自分の能力が生かされ、他人から感謝される仕事がしたいのだ。

仕事以外では、とにかく文字を書きたい。書いて書いて、整理して。
鈴木が思っていること、感じていることを記し、一冊の本にまとめたい。
Kindleで出すのが令和元年の目標だしやりたいこと。
夢とか希望とか、この6年間で抑圧されていたモノがドカンとあふれてきている感じ。
去年の自分よりも今の自分の方が生き生きとしている。
前の部署への罵詈雑言を心で思いつつ、前の部署の人間に会ったら顔はにっこり笑ってやり過ごす。

うむ。いい人生じゃないか。

次回テーマ「チームだからできたこと」

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