家族揃っての最後のドライブは、夜逃げの手伝いだった。
鈴木が広島で買ったRX-8に家族全員で乗った。
全員が無口だった。

親は子供のロールモデルだと思う。
父親が反面教師と気づいたのはいつからだろうか。

小学生の頃、父がまだ公文式に勤めていた時、父に愛社精神ある?
と聞いたら無いと言われた。
愛社精神、植田まさし先生の「かりあげくん」を読んで覚えた言葉だと思う。
愛車精神。鈴木にあるかと言わせたら鈴木も無い。けど、仕事を通じての大義はあるし、会社への恩義もある。

初めて、父に嘘をつかれたのは小学校2年生の時だ。その当時、Jリーグが流行っていた事もあり、地元のサッカー少年団に入りたかった。
3年生になればいいよと、父は言った。
3年生になった鈴木は父に哀願したが、嘘だった。サッカー少年団には入れなかった。
すごく、惨めだった気持ちでいっぱいだった。
その後好きになった野球。
少年野球も、やらせてくれなかった。

中国(中華人民共和国)を家族で目指していた時期もあった。
その当時、父が務めていた公文式では、中国進出するうんたらどうたらで、父がこれを目指していた時期があった。
一年間ほど、上尾のカルチャースクールに家族全員で通っていた記憶がある。中国語を勉強するためだった。しかし、結局、中国に行くことはなかった。
カルチャースクールの最終日、中国転勤することになりましたと父親と同世代のサラリーマンが話すのを見て、子ども心ながらに複雑に感じた。

鈴木家最大の不幸は父が父であったこと。

いい格好しーで、見栄っ張り。
後は、家族の為に働くとか、子どものために働くとか、いい父親でいるとか、会社で十分な評価を得られなくても、別の生きがいにうまく切り替えれば良かったのに出来なかった人。

中国に行きたいという話も、仕事を通じて社会の為とか、世界を良くするとか、そういった自分の仕事に対しての大義が無く、人から評価されたい、チヤホヤされたいと、虚栄心を満たすためなのだ。(別に、愛社精神は無くてもいいのだ)

父親のターニングポイントは4つある。

1.公文式をやめたこと
2.通販会社に入ったこと
3.某埼玉県内の学習塾に入ったこと
4.某埼玉県内の学習塾の社長に言われて、風俗店を経営した事

タイムマシンがあれば、このターニングポイント時期に乗り込んで、運命もろとも蹴り飛ばしてやりたいのだ。

次回テーマ「父と公文式」

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