インターネット

中学や高校の時(~2003年)は、親のパソコンを借りて少し見るくらいだった。
そもそも、家に開通した当初はISDNという電話回線を使ったインターネットは回線速度が遅く、利用中は家の電話が使えなかった記憶がある。
当時、インターネットは未知の世界であり、使いこなすにはある程度のリテラシーを要するのであった。インターネットを本格的に使い始めたのは、大学生(2004年)に入ってからだと思う。

鈴木家にADSLの高速通信環境が整い、専用のパソコンを入学祝いで買ってもらい、インターネットを本格的に使い始めた。

インターネット上で情報発信や自己表現をする手段は、今でこそTwitterやfacebookといったSNS、誰でも手軽に始められるブログ(これは私の大学時代にもあったが)など、特別な知識やリテラシーが無くても利用できる手段がいくらでもある。
当時は、その手段が限られていて、何か情報を発信するのであれば、html等を習得してサーバーを借りてドメインを用意して、ホームページを作成するか、掲示板等を利用して発信するかしかなかった。

鈴木は入室したゼミのホームページ等を作成していた。
ホームページのクオリティはともかく、作ることって面白いなと思った。

当時はギリギリ個人のサイトが生きていた。絵を描く人や小説を書く人は、個人のサイトを持っていて、そこに自分の描いた絵を掲載していた。
また、ホームページには大体掲示板等が開かれており、その作者とのコミュニケーションの場になっていた。匿名同士のやりとりがほとんどだったが、ハンドルネームを明示することで、きちんとした人格を持ったリアルとは別の自分を楽しんでいた。(2ちゃんねるはまた別)

こうした空間は「Pixiv」や「ブログサービス」、最近では「小説家になろう」といった商業的要素を含んだサイトへ移行していった。
移行した理由としては、特別な知識(htmlその他)が無くても(そこに労力と時間とお金を避けなくても)比較的簡単に情報発信やコミュニケーションが出来ること、また企業側もそういった場を設けることで、お金になるというwinwinの関係性を築けたのが大きかったのだろうと思う。

情報発信だけでなく、ネットを介したコミュニケーションの方法も変容した。
お互いに匿名性を担保した掲示板から、mixiといった「お互いの顔も名前もわかりますよ」といったSNSの波がやってきたのである。
統計調査情報が無いので感覚だけなのだが、サービス当初は実名で登録していたユーザー(もしくは、ちょっと考えると誰だか特定できる)が多かった気がした。
もしかしたら、そのような規約になっていたかもしれない。
最初のmixiは招待制をとっており、ユーザーになるにはリアルでつながっている友人・知人の承諾が必要だった。
当時のmixiはインターネットの検索機能で個々人の情報やコミュニティが公開されない、閉ざされた空間だったことも、一つの村社会にいるような感覚で面白かった。

既存の友人関係はもちろん、日記+コミュニティの掲示板を通じて友達を増やしていく楽しみもあった。足跡やコメントという機能が、承認欲求を満たす要因にもなった。
mixiでのコミュニケーションは、リアルのコミュニケーションへ直結していくことになる。
例えば、mixiの日記で趣味や嗜好を理解したうえで、リアルでのコミュニケーション、例えば、カレーが好きと書いていた→カレー屋に誘おう。とか、会話の中で「どんなカレーが好きなの?」と問いかけるような、今までの匿名同士のやりとりではなく、顔と名前が一致した友人・知人同士のネット上のやりとりから派生するリアルという、今までに無かった世界観を作り上げていたのだ。

また、ある程度の実名性が担保されていたおかげで、疎遠となっていた小学校時代の友人と何人か繋がり、食事に行ったり遊んだりするようになった。
この「昔の人間関係とつながる」といった機能はfacebookにも共通する部分である。
(というより、facebookの方がその要素がより強く見られる。匿名性は無くなりネットとリアルはイコールで結ばれた)

ネットとリアルが共存し、ネットの私とリアルの私が同じになりはじめたのが、00年代後半から10年代にかけてのインターネットの特徴なのだろう。

次回「インターネット2」

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