チームだから出来たこと

鈴木が大学時代に所属していたゼミナールでは、
3年次の学園祭にて共同研究を発表すると言う伝統がある。

5月・6月に共同研究のテーマを決めて先行研究を調べ、仮説立てを行う。
7月中旬に中間発表を行い、8月頭にに合宿、中旬以降に実査(アンケート調査等)を行い、
サンプルが集まり次第、集計・分析を開始する。
その結果を纏め、11月頭の学園祭で発表すると言う流れである。

先日は、その中間発表会を見に行った。
オープンキャンパスもしくは授業の中にて、ゼミのOB・OG、ゼミの4年生、現役の学生、高校生やそのご両親なども来る。
今回については授業内で行ったので、ゼミのOB・OG、ゼミの4年生、現役の学生が来ていた。
肝心の内容としては、準備不足もあったのだろう。少々厳しいかなと思った。
とはいえ、テーマ自体は非常に面白い題材なので、何とか夏合宿までに建て直して欲しいと感じた。共同研究は、チームでなければ出来ないことなので、もっと一丸となり、真剣に取り組んで欲しいと老婆心ながら思うのであった。

オープンキャンパスでは、同期も来ていたので久々に会った。
仲は今でも悪いので、トータルで2分ほどしか話さなかったが、なんとなく、鈴木の代の共同研究を思い出した。13年前、2006年の話である。

2006年夏。
共同研究を行うにあたり、学問とは本来関係ない、ゼミの中の人間関係に非常に苦しむようになっていた。
先に言うが、大学時代の鈴木のコミュニケーション力は、皆無である。
100点満点なら、-100点をつけていい。
社会人になって、ようやく平均点くらいになった感じ。
ここまでコミュニケーションが下手なのは、中高の野球部で受けたイジメや嫌がらせが起因していると思う。人とのコミュニケーションや、集団行動がすっかり苦手になってしまった
人と交流して、自分が傷つくのが怖い。であれば、最初から一人でいればいい。
親しい人はいるが、それ以外の人との距離感や付き合い方がわからないまま大学生になってしまった。
大学1年生の時は非常に楽だった。話が合わない人とは別れ、話が合う人だけのコミュニティにいた。大学のサークルも、話が合わなかったので出るのを辞めた。
勉強は、一人でも出来たので一生懸命取り組んだ。
アルバイトもほとんどしていなかった。社交性はほぼ皆無の状態である。
その状態から、2年末のゼミ活動になって、それが完全に露呈し、ついには、ゼミ内で男女対立の構造を生み出してしまう要因になってしまうのである。
今思うと、鈴木の言動に色々問題があったことに加え、男性4名、女性5名というパワーバランスも起因していたと思う。
その状態で「男子がー」「女子がー」っていう二元的な対立構造を同期の女性が口に出してしまうことで、現実化し、対立の溝は深まっていくのだった。

余談だが、鈴木は「男子」とか「女子」という言い方が嫌いだ。
この言い方が許されるのは高校生くらいまでではないだろうか。
いい年した成人は男性であり、女性であり、紳士であり、淑女であることを願う。
そもそも、いろいろな性のあり方を許容する社会の流れの中で、性別というカテゴライズで何かしらを語ること自体が嫌いだ。

対立が致命的になってしまったのは、夏合宿の時だと記憶している。
自由時間だったのだろうか。畳に丸く座って、お互いの悪いところと良いところを紙に書いてくという糞みたいなイベントがあり、亀裂を煽ることになる。誰が何を書いているかわかる(筆跡で)なんで、このイベントをやったのか謎だ。
後で部屋に戻り、「そんなことおまえに言われたくないよ」と大荒れした記憶しか無い。

人の振り見て我が振り直せではないが、ゼミ内に言動に整合性のある聖人君子は一人もいなかったように思える。全員が全員、おまえに言われたくないわ状態。

そんなこんなで、実査に入っていく。
アンケートの調査を行い、分析を行っていく。
調査中に口論もしたときもある。
分析の中で、口論になったこともある。
溝は深く、冷えた氷のような時間が過ぎる。

けれども、発表まで残り10日前と言うところで、突然のブレイクスルーが起きる。
意識の改変か。ついに、9人が団結した。

それからの作業は凄く順調だった。
誰もが自分の役割分担をしっかりと認知し、スムーズな分析や資料作成等を行った。
鈴木自身も、中高で味わえなかった、集団で何かをやり遂げる一体感を初めて持てるようになったのである。
学園祭での発表は、講堂が100名を超える観客で埋め尽くされた。
共同研究は大成功に終わった。

とはいえ、鈴木のコミュニケーション能力が低いのは変わらなかったのである。

次回テーマ「コミュニケーション能力」

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