広島

鈴木が広島に初めて降り立ったのは2011年の9月末でした。社会人4年目を迎えたところで、初めての異動でした。その当時、入社してからずっと営業企画だったのですが、使えなすぎてガチガチの営業に飛ばされました。

家を見つけに、新幹線で広島まで。
新幹線口に降り立った途端「なんじゃこりゃ」と思わず叫びそうになりました。
今でこそ、再開発がいい感じで進んでいるのですが、その当時は駅前に何もなく、降りたらすぐ山が見え、なんともいえない気持ちになった記憶があります。(広島の友人とも、もはやネタにしてますが、それくらい衝撃的だったのです)

気を取り直して、不動産屋と待ち合わせての物件探しです。
当初、1日で回るつもりだったのですが、目をつけた舟入南の物件が先にとられてしまい、2日かけて8カ所をまわりました。
で、舟入本町の家を借りることができました。
舟入本町、後で知ったのですが「はだしのゲン」のゲンが住んでいた場所でもあります。
その隣の江波では、ゲンと同時期に「この世界の片隅に」のすずさんが住んでいました。
(彼女は昭和19年2月に呉へお嫁に行きますが)
また、リビングレジェンドとして名高い、世界の獣神サンダーライガーが生まれ育ったのも江波だったりします。

会社までは、最初広電(路面電車)で通っていたのですが、朝ラッシュで時間が余計にかかることが判明し、早々にバス通勤に切り替えました。あと、前日飲み過ぎて遅刻しそうになった日は、タクシーを使うこともありました。
(福助タクシーという、タクシー会社が近所にありそこで直接拾ってました)

会社は、胡町の方にありタクシーで10分。バスで15分。広電で30分といったところでした。鈴木は現在、1時間くらいかけて出勤しているのでそれから比べたら天国だったのだなと今にして思います。

広電で思い出すのは、着任して飲み会をやってもらった日にまだ23時なのにもかかわらず、終電がなくなっていたことが衝撃的でした。
とは言っても、仕事が忙しくなると、広電・バスともに最終に間に合わないようになり、ほぼ毎日歩いて帰る日が続きました。歩きと言っても、4~5キロなのでそこまで苦ではありませんでしたが。

仕事は、正直自分に合いませんでした。
右も左もわからないまま放り込まれて、苦痛という気持ちが先に出てしまったのです。
同期や年齢が近い人が仕事できてるのに自分だけできないという劣等感や、途中で着任した上司とソリが合わない、土日でもバンバン電話がかかってくるストレス。本当に地獄でした。
胃薬が手放せない日々が続き、転職も何度も考えました。今思うと、転職しないで良かったと思います。

仕事は駄目でしたけど、それ以外は充実していました。
自動車を買ったのも、広島が最初です。
鈴木の初めてのマイカーは、RX-8(マツダ)でした。中古で買いました。
広島だったらマツダだろうという安直な理由です。ホイール変えたり、エアロ変えたり、リッター6キロの燃費が悪いハイオクガソリンと、凄く散財しました(このRX-8で、鈴木家最後のドライブをすることになるのですが、これはまた別のお話)
バイクはそのとき、ホンダのPS250というビッグスクーターに乗っていました。
RX-8では、県外・・・山口、福岡、大分、長崎、香川、愛媛、岡山、島根など。
PS250では、宮島や湯来温泉、呉、江田島といった県内ツーリングというように使い分けていました。が、一回とち狂って夏休みに、広島から当時実家のあった千葉を往復したことを思い出しました。高速で炎天下の中ひたすら走る。なかなかの苦行でした。
今はPS250を乗り換え、C400XというBMWのビッグスクーターに乗っているのですが、流石にやりたくないと思います。

充実していた最大の理由としては、近所の鉄板焼き屋の常連となり、よそ者の自分と大変仲良くさせて頂いたことが大きいです。
鉄板焼き屋というと、関東圏ではステーキハウス的なものを想像しがちですが、広島だといわゆる居酒屋の一体系でリーズナブルな値段で飲み食いできる場所になります。
最初に入った時に、常連の方と色々話して楽しかったのでそのまま自分も常連になってしまったという経緯があります。週に1~2回くらいのペースで行っていたかと思います。
そこで仲良くなった方と合コン行ったり、普通に飲みに行ったり、草野球やったりと、とても楽しかったのです。とてもいい思い出です。

広島には1年半ほどしかいませんでしたが、今でも広島には年に2〜3回帰る理由が、ここにあるのです。

広島は鈴木にとって、第二の故郷であり、人生において最も大切な場所だと思っています。
鈴木は広島を愛しています。

そして、広島で出会った全ての人に改めて感謝です。

次回テーマ「バイクとクルマ」

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