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世界を動かしてみた (11)


 ある2月の朝、テヘラン郊外の気温は10℃を下回っていた。マントのような白い布地を纏った男が、まだ世帯を構えていないやはり同じような布地を纏った息子を伴って、月が改まったばかりのモスクの礼拝へと向かった。

モスクでは息子と横に並んで祈った。いつもと変わらぬ礼拝を済ませると、聖職者から暫くモスク内に留まるように伝えられた。時折このような事はあるので、誰も文句も言わずに待つことにした。隣の人と囁きあうように語らう程度の話し声がそこかしこで聞こえる程度で、皆、静かに座って待っていた。

やがて、何人かの男たちが立て看板を持って、留まっている男達の前にそれぞれ立った。立て看板には、モスクに集った各人が居住している地区名が書かれていた。
各地区ごとに集まるように伝えられたので、男と息子は自分の居住する者たちがいる所に並び直すと、改めて座った。やがて地域の支部長達が目前に現れると、それぞれの地区毎に一人一人名前を呼びだした。呼ばれた者は立ち上がると支部長の前まで歩き、何やら受取っていた。自分の名前を呼ばれた男は、息子をその場に残したまま立ち上がり支部長の元へ歩んでいった。支部長は微笑みながら一枚のクレジットカードの様な青みがかった紺色のプラスチック製カードを男に渡した。カードの表には割り振られた番号が表示され、QRコードがついていた。男は息子の元へ戻って座ると、カードを息子に見せた。

「なんだい、これ? ペルシアンブルー 一色じゃない」
「さぁ? こんなの初めてだよ。カードなんて記憶にもないぞ」

カードの配布が一通り終わると、支部長から説明があった。
来年の1月までの1年間、毎月400万リアル(日本円にして約1万円)が各家庭に支給されるという話だった。お金の受取方法はこのカードと身分証明書を持って、最近設立されたペルシアンブルー銀行に行けば、月初にお金を受け取れる。アッラーの加護に感謝せよという話だった。

モスクの中にいる民衆は色めき立った。どの家庭にとってもありがたい話だ。経済制裁によって物価は上昇し、生活は困窮を極めていたからだ。
男たちは近所の仲間同士で肩を叩き合って喜びを分かち合い、アッラーに感謝した。

親子はモスクを出ると、街にできたばかりのペルシアンブルー銀行に早速向かった。新しく出来た銀行とは聞いていたが、縁もゆかりもないので店には入った事など無かった。以前はバイク屋だった場所に、頑丈な扉が付けられていて、軒先には新しい看板が掲げられていた。ペルシアンブルー色の下地に、英語で白抜きのゴシック体で銀行名が書かれている自体が浮き出るように見えるもので、店舗と全くマッチしていない看板だった。
このイラン各地に出来たペルシアンブルー銀行は、どこもかしこも安普請の急増店舗だった。銀行と言うよりも民間の両替所のような佇まいのものが殆どだった。

親子たちが訪れた時には、既に長い列が出来ていた。
その列の後方に並んだ親子は、周りの人々が「お前は何を買うんだ?」「うちは小麦粉を買うよ」「俺んちは芋だ」と語り合っているのを聞いて、少し心が踊った。

「父さん、折角だから芋を買って帰ろうか。僕もいることだし、どうせなら2人で担げるものの方がいいでしょう?」
「おお、そうしよう。芋なら母さんも助かるだろうしな」

やがて、笑みを浮かべた人々が400万リアルの現金を手にして次々と出てくるのを見て、人々はまた歓喜した。アッラーは私達を見捨てなかった。政府はなんと嬉しいプレゼントを国民に与えてくれたのだろう。人々は誰も彼も一様に笑顔を浮かべ、喜んでいた。
現金を手にした人々は、それぞれの商店へと向かい、買い物をして家へ帰っていった。


2月の始めにイラン各地で突然起こった現金配布のカラクリは、日本のモリの発案によるものだった。イランの人口は約8000万人、戸数は2000万戸とも言われている。そして1家族に対して毎月400万リアル、日本円で約1万円が支給されることになる。年間で各戸あたり12万円、総額にして2兆4000億円となる計算だが、これをイラン産の石油で後払いするという契約内容だ。契約は毎年更新されるが、最低2年間は履行となる。契約解消のタイミングは、アメリカの経済制裁が解除された時点で終了することを目指している。

日本がイランから購入している石油が年間4000億円なので、1年間で6年分、2年間だと倍の12年分となる。つまり、イランにしてみれば日本に買って貰う予定の12年分の石油を原資にして、2年間に渡って毎月イラン国民にバラ撒きますよ、という緊急措置なのだ。ただ、イランに現金そのものが無いので、そこをペルシアンブルー銀行が立て替えておきましょう、というだけの話なのだ。

勿論、庶民の手元に金があっても、購入する物資が無ければなんの意味も無い。そこで物資供給元として、中国とロシアが大活躍する。

インドとパキスタン間で長年に渡る確執に乗じて、中国は国境を接するパキスタンとの取引量が毎年のように増加していた。イランと国境を接するパキスタンは、中国政府からの要請を受けて、コメ・じゃがいも・小麦や、衣料品・洗剤等の生活物資をイラン側へ届ける役割を担うことになった。庶民に金が行き渡る前に、イラン国内に既にこれらの物資が運ばれていたのだった。

また、カスピ海を介してイランと接するロシアは、小麦、じゃがいも等の農作物を載せた船舶をテヘランに向けて送り出した。

共に、イラン国内で生活物資が相応に流通することを目指した活動だった。店舗には中国とロシア産の物資が備えられ、市民は収入以外の現金を得たことで消費活動が促された。次第に、経済制裁下で高騰していた物価が沈静化し始め、やがて制裁前の水準に戻った。

イラン人口8000万人の購買活動が促進された事により、ロシアと中国、そして流通経路を担ったパキスタンには、それなりにビジネスになった。そして毎月の兌換データを回収をしたペルシアンブルー銀行は、数千億円分のイラン産石油手形を数ヶ月で手に入れたのである。

ロシアと中国にとって、アメリカとの間で何らかの紛争が生じて、イラン政府が傾いてしまえば、この石油手形が空手形になってしまう事態を懸念していた。
そこで、アメリカとの紛争が起きたなら、ロシアも中国もアメリカ側へ参戦することもあり得る事をイラン政府に強く匂わせた。ひとえにイラン軍の暴発行為を止めるのが目的だった。

やがて経済の混乱が落ち着くと、イラン政府も制裁解除を声高に要求しなくなり、イラン軍も穏便な態度を取り続けた。当然、経済制裁は続いていた、しかし、イラン国内の経済は次第に安定していった。この逆説的な状況はゆっくりと世界に広まっていった。
イランへ訪れる旅行者が、モノが流通し、そこそこ快適な旅行が楽しめる様をSNSへアップし出すと、それを知った各国のメディアがイランへ記者を派遣し、活気を取り戻したイラン各地の模様を次々と伝え始めた。
この一連の状況の変化に対して、ただアメリカ一国だけが慌てていた。制裁の意味が殆ど無くなっていたので。

一体イランで何が起きているのか?CIAが躍起になって調査し、原因が特定できた時点では大統領選は既に終わっていた、というオチは後の話だ。

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モリは2月中旬のある週末にテヘランの街を歩いていた。
この1ヶ月で白髪の量がめっきりと増え、頬は心なし痩けていた。
イスラム圏ということもあって鮎が同行するのは今回ばかりは控えた方が良かろう、と判断し、日本側の代表として単独で訪れ、イラン政府の高官と会談をこなした。
その際、政府関係者から数々の賞賛と謝意を貰ったのだが、それをどうしても実感したくて、テヘランの商店をアチコチ覗いて商店主に質問し、投資した銀行の職員や街で買い物をしている人々の声を聞きまわったのだった。

テヘランで話を聞いた誰も彼もが、皆一様に笑顔だった。訪問団の誰も彼もがそれを喜び、いい仕事をしたなと実感していた。

「モリさん、来週はエルサレムですね」 ロシアの共同パートナーから尋ねられた

「ええ、あちらは庶民の喜びの声というよりも、イスラエルの軍事企業、IT企業訪問のような形になってしまいますが」

「ロシアにとっても、中国にとっても、それはそれでありがたいお話です」中国外交部の旺部長が応えた時だった。フラッと立ち眩みがして、その場で座り込んだ。

「モリさん! どうしました!」

「いえ、スミマセン。ちょっと立ち眩みしまして・・」 単なる立ち眩みでは無い感じがした。今迄、無かったことだ・・

「お疲れなのでしょう・・そうだ、タクシーを捕まえてホテルに戻ることにしましょう!」旺部長が一緒に居たイラン人の通訳にタクシーを捕まえるように英語で依頼していた。

「すみません、お手数をお掛けいたします・・」自分でも自信が無くなっていたのかもしれない。素直に旺部長に従う事にした。

座り込んだまま、鮎がこの場に居ない事を悔やんでいた・・


(つづく)


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taizan

単なるサラリーマンです。 思いつくまま、日常の出来事を書いていこう、と思います。
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