蛍と登山(12)フィールドワーク考 〜北岳編


 小屋に戻って、「訳ありビール」と銘打ったものに目が行った。通常品が500円の所、一缶250円だそうだ。昨年小屋で売れ残って越冬した賞味期限切れのビールとのことで、3缶飲もうと思った。蛍は2缶でいいとのことなので、5缶買う。

夕飯前までの時間をこれを飲んで語らうことにした。部屋にはまだ誰もいなかった。
「これは、ひょっとして」と蛍が喜んでいる。私はこれ幸いと下着と長袖シャツを着替えた。ワークパンツの下に保温用に無印製の股引をはいた。

非常食用に持っていた柿の種をつまみに、蛍と飲み始める。

「小屋もいいね。蛍と一緒だと、どこでもいいのかな・・」正直な胸のうちを吐露した。

「赤岳鉱泉がホテルみたいだったし、やっと山小屋らしい所に泊まれたわ」

「山小屋でも、ここは個室みたいだからちょっと違うけどね」

「誰も来ないといいなぁ」   やはり諦めきれないようだ。

「夕飯前まで人がやって来るよ。期待しないほうがいい」

「もし、来なかったら?」

「きっと僕が節操がなくなるから、君は声を我慢しているのが辛くなるよ。それに、かなり建物が揺れちゃうよ」 

諦めさせる方向で話を進めることにした。

「なんで、そうなるのよ。普通に出来ないの?」

「出来ないだろうなぁ」 ニヤリとしながら答える。

「そうか。揺れるわよね、この建て付けじゃ」蛍が天井を仰ぎながら言う

「諦めるんだね。ヤマを下りてからゆっくり楽しもう」 

「イヤらしい顔しちゃって」

「君が最初に言いだしたんだろう?」

「だって・・」と言って、隣に擦り寄ってきた。

「ダメだって、いつ来るか分かんないよ」

「・・分かった」それでも左腕に自分の右手を絡ませてくっついていたので、話を変えようと思った。

「お母さんから蛍に伝えといて欲しいって託された話があるんだ」

「なあに?」 上目遣いで甘えたような表情をするので気持ちがグラつく。私だって宿泊客が来ないことを祈っていた。

「その前に、いつの日か学校で組み込みたいプランの話をさせて欲しい。
当面は、家庭の事情で延期するしかないんだけどね。」

蛍が笑った後、私から離れて畳に手をついてお辞儀した。

「ありがとう、あなた」

頭を上げると、その場で正座のまま聞く体制を取った。ビールを傍らに引き寄せて。

「兼ねてから山岳部の顧問をやって欲しいと言われているんだ。子育てが一段落したら、そこは請けようと考えている。
メニューは蛍と登った丹沢、八ヶ岳、そしてこの北岳をベースにして、歴史、地理、そして農業を始めとした生活産業を考える、新しいスタイルの山岳部を作ろうと思っている。
母の実家で田植えや稲刈りも実践する。そして夕食後は皆でディスカッションするんだ」

「それは絶対に楽しいわよ」

「これを実現するとなったら、家庭の休日を何日間か取られてしまうだろう。子供とも遊ぶ時間も減るかもしれない」

「子供が登れる年になったら、私も一緒に行くわ。引率者として」

「ああ、そうか。そうすればいいんだ・・でも問題があるな。もし2人、3人目が産まれたらどうする? それにね、学生面では中高生を引率するリスクがある。仮に雪山や難易度の高い山を避けたとしてもだ」

「そうか・・」

「ここで、お母さんから君に伝えておいて欲しい、と託された話へ戻る。あの人は僕に託した際に、君を秘書にする話には触れなかったけど、この時はまだ決めてなかったのかもしれない」

「ごめんね、狡猾な母で。あなたにはご迷惑ばかり・・って、まんざらでもなさそうですけどね。母と私で毎日スッキリされてるようですし」

笑顔だが、少しシニカルな表情を見せた。このままでは話が元の木阿弥になりかねないので、そのまま話を続けることにした。

「毎日じゃないでしょう・・まぁ、いいや。でね本題に戻るんだけど、学校でこんな事をしようと考えてるんですって、散歩の時にお母さんに相談したんだ」

「で、どんな反応が帰ってきたの?まぁ、大賛成だったんでしょうけど」

「正解。それは、絶対にやるべきって言ってた。それと、家族の事を優先してくれてありがとうともね」

「まぁ、そうでしょうね」 ビールを旨そうに飲んでいた。

「そしたら何日か経った散歩の日、私がゼミでやりたいと言い出したんだ」

「ああ、それで私を秘書という名の雑用係にしようとしているのね」

「多分、そうだと思う。蛍から秘書の話を聞いたときにそう思ったよ。
お母さんのプランの概要だけど、ゼミ生を五箇山の家に泊めるっていう内容だ。初年度は新2年生しかゼミにいないことになるから、10名前後じゃないかって言ってたな」

「そうか、途中から3,4年生のゼミ参加は無理だものね」

「うん。それで五箇山で春と秋に田植えと稲刈りを体験する。その内1日は白山への登山、そして別の日に富山湾での漁に同行するんだそうだ」

「春はホタルイカ、・・秋はなんだろう10月だと、白エビが辛うじて捕れるかな?」

「どうなんだろう?まぁ、富山湾なら色々あるでしょう。それで毎日、夕食後はディスカッションをして就寝だって。男性は2階で雑魚寝。女性は1階。食事は鮎とイワナをバンバン焼いて、後は肉と野菜をBBQ」

「確かに、それなら材料用意するだけで済むわ」 腕組をして何かを考えているようだ。

「そこで、僕は提案したんだ。僕の勤務先の親会社というか大学の農学部のゼミと提携したらどうですかって。農業と漁業を共に学んで、お互いで語り合う場にしたらいいんじゃないかって」

「素敵じゃない!」
 
「お母さんもそう言ってた。それで農学部の教授に相談したら、前向きでね。その教授はお母さんの事も知っていてね、それは是非やりましょうという反応だった。そんなこんなで、改めて2人で相談して貰うことになっている」

「農学部と海洋学部って、男女比率はどうなのかしら?」 

「どっちも半々らしいよ。お母さんのゼミ生は女子のほうが多くなるだろうって言ってた。お母さんのファンが校内に居るんだってさ」

「そうか。いやあのね、きっとカップルが誕生するだろうなって思ったの。山と海と田んぼよ、私達みたいじゃない!」 手を組んで喜んでいる

「なるほど・・。お互い学力的にも拮抗しているからいいかもね・・」

「それは、別の意味で人気ゼミになりそうね」急にわくわくしだしている。そこには触れないで話を進めることにした。

「そこで、更に提案したんだ。農業や漁業に実際に従事している人の話を聞く時間を設けるのは必須だと思うんだけど、お母さんの同僚や農学部の教授の知り合いの農業コーディネーター、まぁ農協の職員でもいいんだけど・・そういう専門家を講師として招いて、講義をしてもらって、その後でディスカッションすると、毎回内容に変化が出ていいんじゃないかって。

そしたらお母さんから、何回かやってうまく行ったら、有志で集った中高生も参加せさて、大学生にも刺激を与えましょうって提案を受けた。それはいいですねって即答したよ」

「私も参加しようっと」 蛍が予想通りの反応を示した

「じゃあ、その間は僕が子供の面倒を見ているよ」 

「母の事だから、あなたにも何かと頼もうとしてるんでしょ?」

「うん、登山ガイドと地理と歴史の講義、それとディスカッションの司会役。ディスカッションに参加すると子供の面倒は誰が見るんだってことになっちゃうけど、それは後で考えようか」 蛍が頷いた後で質問してきた。

「地理と歴史?」

「うん、八ヶ岳で蛍に無茶振りしたような話。富山の地理、歴史をメインに食文化と体力維持まで含めた話題。それを学生に話して欲しいって言われたんだ。
お母さん曰く、海洋大では新参者になる。海洋生物ではエキスパートでも海洋学全般となればまだこれからだし、学内での自分の立ち位置を早く用意したいらしいんだ」

「そこは、やっぱりさすがね。母上」 柿の種を口に運んで、2缶目のビールを開けた。

「八ヶ岳に3人で登って、ヤマと水、そして農業という流れで僕が富山湾を褒めたのは覚えてる?」

「うん、覚えてる」

「お母さんは、自分でも目から鱗だったって言ってた。同じ思いを学生にも学ばせたいと思ったんだって。海洋大だから海上でのフィールドワークは有るけれど、陸との繋がりに関してはどうしても希薄だからね。それをお母さんは取り入れたいようだ」

「そうか、海洋大の学生だから、体力は有るかもしれない。田んぼ作業も問題無いかも。確か、彼らって授業で遠泳したりするんでしょ?」

「その話は聞いたことは有るけど、皆が皆 体力がある訳ではないだろうし・・」

「そうか、そうよね」2缶目のビールが空いて、私のビールを奪い取った。

「それでも、学生に心技体について考える場としては、良い試みだと考えているようだ」

「心技体?」 蛍がビールを飲もうとしたのを止めた。

「お母さんも、そして蛍が一番実践していることさ。お母さんは蛍のような学生を増やしたいんだって。学習意欲のある学生を」

「あ・・」

「お母さんが、僕に感謝している事の一つが、積極的な君の姿勢だ。あの子を前向きにしてくれて、考える力を育ててくれてありがとうって」

蛍の手を取って、握りしめた。

「お母さんは、蛍の姿を見て確信したんだよ。山と田んぼをミックスさせると、多様な考え方が出来るし、何よりも人間本来の機能を取り戻すことにね。 
お母さんは、あの歳でも出産と子育てをすることでそれを証明しようとしている。蛍が出産すれば更に説得力が増す。 女性のゼミ生が多くなれば、より高い効果が得られるんじゃないか、って」

「私の姿・・」

「そうだよ、君はお母さんの最高傑作なんだ。君がお母さんの側にいることで、学生への効果が増すって考えたんじゃないかな。秘書という名目だけど、助手にしようと思ってるんじゃないかな? だって、海洋学が研究対象だろうから、そこをお母さんは追求するだろう?そうすると、農との関連性をビジョンとして極めて行くのは?」

「私?・・」  狐につままれたような顔をしている

「そうだ、相棒。君がやりたがってるフィールドを君自身の手で作っていくんだ」

蛍が飛び込んでしがみついてきた。

「相棒って、言ってくれた!」

「今だけだよ、特別」

「もっと言ってよ」 上目遣いで姑息な表情で迫ってくる

「イ・ヤ・だ」

 目を見合わせながらそう言うと、口を合わせた。

(つづく)


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taizan

単なるサラリーマンです。 思いつくまま、日常の出来事を書いていこう、と思います。
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