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(小説)笈の花かご #28

10章 ホワタ職員はソロリ?(1)

何かと注目されるモクレン館のホワタ職員(姓名は、蒲野 穂綿)。年齢は、32歳、モクレン館で2番目に若い介護職員である。
イチョウは干支を訊いてやっと正確な年齢を知った。
ガタイは小柄な方で色白。実際の年齢より若く見える。
5階入居者の林田隼夫が、
「高校を卒業したばかりか? 」とカラカイ半分で訊いたところ、ホワタ職員は「そんな! 30を越えています」とむきになって言い返した。

ホワタ職員は、初めの頃こそ、ガチガチに緊張して仕事をしていたが、就職して数ヶ月が経つと、4階食堂の業務にも馴れて、他の職員は誰もしないのに、廊下の手すりを拭って回る余裕が出て来た。
勤勉で真面目な職員である。


午後3時、お茶の時間

午後2人テーブルで、スイデン夫妻は、コーヒーを飲んでいた。
「見てみい! 」
スイデンがイチョウに目配せした。
「ン? 」
スイデンの視線の先をたどると、そこには、何やらささげ持って、シズシズと歩んで行くホワタ職員の姿があった。
その姿は、まるで能舞台で見るシテの足運びソックリである。
彼は、コーヒーを運んでいた。
ソーサーに乗っているカップには、ふちまでギリギリコーヒーが入っている。溢れさせないように注意しながら、一番後方の小森ゆうのテーブルまでソロリと運んでいくところであった。

多くの職員は、カップ8分目ぐらいまでコーヒーを注いで各テーブルに配り、しばらく後で
「いかがですか」
とテーブルを回って追加の希望を訊いている。
8人テーブルの後方席に座っている小森ゆうだけは、
「初めからたっぷり入れてください」
とリクエストした。
そこで、ホワタ職員は、シンクの台上で、カップすれすれまでコーヒーをそそぎ入れ、それを、ソロリ、ソロリと運ぶ仕儀と相成った。それを知ったイチョウは、黙っていられない。
無事、コーヒーを運び終えたホワタ職員を捉えまえて説教を垂れた。
「アンタまるでソロリシンザエモンやんか。そんなことせんかて、一式全部をワゴンで運んで、小森さんのテーブルでたっぷりコーヒーを入れたらわ」
長年住んでいた大阪の言葉を使い、太閤秀吉の側近、曽呂利新左衛門そろりしんざえもん*  まで飛び出した。


こうして


ホワタ職員は、素直にイチョウのアドバイスを受け入れた。
その結果、小森ゆうは自分の目の前で、カップのふちスレスレまでコーヒーがそそがれる様を楽しむようになった。
ホワタ職員は、アッというまに、自信を持ってコーヒーをそそぎ入れるようになった。しかも、小森ゆうがクリープを入れるための5mmのゆとりを残して、コーヒーを注ぎ入れる余裕まで持つに至った。

数日して、ホワタ職員がスイデン夫妻のテーブルに近づいて来た。
そして、ずっと気になっていたことを小声でイチョウに訊いた。
「あのぉ、ソロリシンザエモンって何ですか?」


*【曽呂利 新左衛門そろりしんざえもん
豊臣秀吉の寵臣。堺の人。和歌・狂歌・茶の湯に通じ、頓知に富んだ。本業はさや師。鞘に刀が「そろり」と合ったのでこの異名があるという。本姓、杉本又は坂内。実在の人物か否かは不明。

引用:コトバンク

「曽呂利新左衛門の米」という逸話で有名。

引用:文藝春秋digital:数字の科学 曽呂利新左衛門が10日目にもらう米粒の数


次は、ホワタさんのオレンジの皮むきが気になるイチョウでしたが……

→(小説)笈の花かご #28
11章  ホワタ職員は、ソロリ?(2) へ続く


(小説)笈の花かご #28 10章  ホワタ職員は、ソロリ?(1)
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2023年10月21日#1 連載開始
著:田嶋 静  Tajima Shizuka
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