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楽問のススメ⑥ 2024共通テスト世界史B

この記事は、大学入学試験共通テストに出題された問題の中から、私がもっと知りたいと思った項目をピックアップしたものです。従って受験技術的には全く役に立たないかも知れませんので念のため。(笑)

問題と解説はプロにゆだねます。
たとえば、ここを参照。


2024年の共通テスト 世界史Bから。

いやはや、世界史とは広汎な外国の、しかも古い出来事についての知識を問われるので、興味の焦点を絞りにくい。

私が受験生なら、正直、避けて通りたいところだ。(笑)
それでも、歴史をテーマとした映画やドラマ、アニメなどを見たとき、背景を調べておくのも良いかも知れない。


第2問にはアレクサンドロス大王、第4問にはコロンブスの関連問題が。

大遠征や大航海にはロマンがある。
何となく知ったつもりでいる事柄を少し掘り下げて調べるのも、世界史の勉強のモチベーションになるかも。


第4問(問5)
ポルトガル王室が最終的にはコロンブスを支援しなかった理由。
バルトロメウ=ディアスの喜望峰到達(1488)により、インド航路開拓のめどが立っていたから、という。


そもそも、バルトロメウ=ディアスとは何者?

1486年10月10日、ポルトガル国王ジョアン2世は、アジアに至る交易路確立のためのアフリカ周回航海の遠征隊長に、ディアスを任命した。

この航海の主要な目的には、エチオピア方面にあると言われるキリスト教徒の王(プレステ・ジョアンとして知られる)の国を探し、ポルトガルとの友好関係を樹立する事も含まれていた。プレステ・ジョアンについては、既に最近の報告としてジョアン・アフォンソ・デ・アヴェイロ(ポルトガル語版)(João Afonso de Aveiro) によって届けられていた。
1487年8月、リスボンを出港する。

(航海中、嵐にあい一時漂流するが)
ディアスはアフリカ南端のアガラス岬、南岸のグレート・フィッシュ川を巡り、このまま行けばインドまで到達する事がはっきりした段階で引き返した。これは乗組員の不満を抑えきれなくなったための妥協の結果と言われている。

1488年5月、帰路に喜望峰を発見する。「ディアスの喜望峰発見」とはこの時であり、資料によってはアフリカ南端到達時期と混同されることがある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/バルトロメウ・ディアス


一方、「東方見聞録」にある黄金の国ジパングに惹かれていたコロンブス(当時ポルトガル在住)は、自身の経験、天文学・地理の知識によって、西廻りでアジアに向かう計画に現実性を見出していた。

いわく、
① 地球は球体であり、西に進めば東端にたどりつく。
② 地球の未知の部分はアジア東端からベルデ岬諸島以西だけになった。
③ 2世紀のギリシア人地理学者のマリヌスはヨーロッパからアジアまでは地球の15/24に当たるという。したがって未知の領域は9/24=約1/3となる。
④ マリヌスが認識していたアジアは(当時認識されていたという意味で)現在のアジア東端までに比べれば狭い。したがって未知の領域はさらに狭くなる。
⑤ 9世紀のイスラム人天文学者アルフラガヌスは経度1度=約56.6マイルと計算した。したがって未知の領域は56.6×360/3=約6,800マイル。しかもこれは赤道上であり北寄航路ならば距離はさらに縮まる。

(ところが実際には)
地球の大きさについても、北緯28度におけるカナリア諸島から日本までを実際の10,600海里に対しコロンブスは2,400海里と、非常に小さく見積もっていた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/クリストファー・コロンブス


このような主張をもって、ポルトガル王に資金提供を求めた。

1484年末、コロンブスはポルトガル王ジョアン2世に航海のための援助を求め、その自信に溢れた弁舌にジョアン2世は興味をそそられた。

コロンブスは資金援助に加え成功報酬も求めたが、高い地位や権利、そして収益の10%という大きなものだった。王室は数学委員会(フンタ・ドス・マテマティコス)の諮問にかけて検討したが、回答は否決だった。

コロンブス以前にも大西洋への航海は何度か試みられたがすべて失敗し、一方でアフリカ探検はディオゴ・カンがコンゴ王国との接触に成功し喜望峰に達する寸前まで来ていたこと(1482頃)、さらにコロンブスの要求があまりに過剰だと受け止められたことも影響した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/クリストファー・コロンブス


カン(その後ディアス)らの調査で、ポルトガル王には、東回り航路実現の見通しがあったためだろう。


コロンブスは、ポルトガルはあきらめてスペインに渡り、もともと興味を持っていたイサベル1世、フェルナンド2世を説き伏せて協力を得られた(1492)のは幸いであった。





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