【マリオカート8DX】限界底辺ラウンジプレイヤーが人生の真理に気がついた話

2年近く前に、マリオカート8DXを始めた。
オンライン対戦を行うゲームなど始めてで、ゲームセンスのない自分にはなかなか厳しいゲームだ。

うまくならない自分に嫌気がさして、数ヶ月離れていた時期もあったが、半年ほど前、ラウンジを始めた。
※くさあんさん曰く、スマブラでいうところのスマメイト。ガチ勢のためのオンライン模擬募集システムで、レート(MMR)によってランクが決まる。

数ヶ月やって、MMRは1500~3000の間を行ったり来たり。いわゆる「下位tier」でくすぶり続けている。
自分のゲームセンスのなさに照らせば、ラウンジで戦えているだけ上出来だろう。
(これを書いている時点でのアベレージスコアは82.1、まぁ戦えているレベルだと思う。)

プレイ時間は2000時間程度。ここにきて、マリオカートの神髄に気がついた。
つまり、所詮は運ゲーであるということ。

そもそも、ラウンジはplacementとして初戦の1戦を最下位tierで行い、そこで得たスコアから、初期ランク(MMR)が決められる。
正直これは運ゲーだ。
12レース走って120点くらいを連発できる日もあれば、70点にも届かない日もあるゲームにおいて、一発勝負は運でしかない。

ここで初期ランクを低く与えられると、正直言って、なかなか上のランクにはいけない。
なぜならば、元々運ゲーであることに加え、ラウンジでは相方運が絡んでくるからだ。
110点とっても相方が50点でMMRはマイナス40、そんなことは日常茶飯事だ。
一時期、これが嫌すぎてラウンジを離れていた。
また、ゲームやスポーツは、うまい人のいる環境に置かれることで、自分もうまくなっていく側面がある。
逆に、置かれた環境以上のレベルに到達することは、結構難しい。
つまり、最初の一発勝負で決まった環境レベルによって、成長も左右される。

うだうだ言ったが、マリオカート、特にMMRは運ゲーなのだ。
だから、センスのないnitaを死ぬ気で詰めるのも、毎日コンディションを整えながら本気で12レースの点数を取りに行くのも、相方運が悪くMMRを失うことにがっかりするのも、点を取りきれなかった自分を責めるのももうやめることにした。
所詮は運ゲー、だからMMRやtierなんか気にせず、下位tierでのんびりエンジョイすることに楽しみを見いだすことにした。
(野良はコースが反転したりアクセルが暴走するバグがなおらないのでやらない。)

結果、今、マリオカートが死ぬほど楽しい。
ラウンジを義務ではなく楽しみとしてできている自分がいる。これが本来のゲームだ。
メンタルも安定して、人生における幸福度も上がってきたし、ほかの楽しいことにも時間を割けている。
ガチで取り組み続けて上位tierを目指す、大会で成績を残すことだけがマリオカートの楽しみ方ではないのだ。
所詮は運ゲーと割り切って、ほどほどに楽しむ。楽しみ方は人それぞれだ。
(関係がないがDLC第3弾のコースが楽しすぎるというのもある。今回当たりコース多くないか?)

マリオカートは所詮運ゲーだから、本気になりすぎず、自分なりの楽しみ方を見つける。
ふと、人生も同じではないか?ということに思いが至った。

人生は、容姿、生まれた場所、親、運動神経やゲームセンス、頭の良さ等々で大きく変わる。
要するに、運ゲーなのだ。
運がよければ芸能人やプロ野球選手になって富を独占できるし、運がなければいわゆる底辺、限界だ。
努力は報われるだなんだと口うるさいやつがいるが、それは努力をさせたい社会や企業の都合でしかない。
本質は、運ゲーなのだ。

だから、努力やあがきはほどほどに、与えられたものの中で、自分なりの楽しみ、幸せを見つけるしかない。それが最良なのだ。
ブランドもののバッグを持って、高い車を買って、港区のタワーマンションの高層階に暮らすことだけが幸せではない。
運がない人がそんな社会から与えられた画一的な価値を追いかけようとするから、いつまでも社会から搾取され続けるのだ。

運ゲーであることを自覚し、足るを知り、足下の幸せを知る。
マリオカートを通じてこんなにも究極のことが学べるなんて、本当に自分は運がいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?