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昭和の代筆屋

大河ドラマ「光る君へ」

紫式部・まひろが京の街なかで
恋文を代筆するシーンから
回り舞台のごとく
千年先 昭和の恋文横丁に飛んだ

碑「恋文横丁此処にありき」                東京都行政書士会HPより

恋をかたるに
歌をよむ素養が決め手だった平安の世
これは今でも変わらない

戦災で焼け野原となった渋谷にバラック街が生れ
その一角に代筆屋が登場した

朝鮮戦争が始まり
駐留軍のアメリカ兵と恋におちた女性の
その思いを本人に代わり手紙を書いたり
訳したりするために代筆屋が生まれた

そのひとり菅谷篤二さんは
戦後、渋谷のバラック横丁で
先ずは古着屋を始め
やがて英語と仏語が得意なので
代筆する恋文業が本業となった と語る

そして恋文横丁が誕生した

「英佛 文 手紙の店」       小さな看板が右・中ほどにある

じつは、僕は丸坊主のまま田舎から
東京へ進学して
渋谷の恋文横丁によく通った
代筆屋ではなく
カウンターだけの中華料理屋の餃子が
安くてうまかったから

また 友人の店がこのちかくで
呉服屋を営んでいて
ここでも油を売っていた

今でも思いだす
サイホンで落した美味しいコーヒーを
初めて味わったのも横丁ちかくの
バラックの喫茶店であった

恋文横丁の跡地    現在はヤマダ電機となっている

         *三枚の写真は、Webよりダウンロードしたものです


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