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京都BMX文化の発展と熊野寮

↑BMXの輸入代理店「ZEN」のブログ(2011.9.26)よりBMX STREET KIDS CONTESTの様子より引用。

・熊野寮敷地には、2000年ごろBMXが活動するパークがあった。
・当時管理されていた方に開設のきっかけをお聞かせいただいた。
・BMXトップ選手がそのパークで幼少期に練習されていた。

 BMXとはBicycle Motocross(バイシクルモトクロス)の略で、自転車でかっこよくジャンプするアレだ。熊野寮東のエリア、その昔ニッコクと呼ばれていた場所は、一時期「京都ローカルパーク」と呼ばれ、BMXの活動拠点だった。私が熊野寮に住んでいた当時のうわさで、熊野寮のBMX拠点はなぜか西日本最大規模らしいとは聞いていた。2000年代は寮のお祭りでもイベントでたびたびご参加いただいていた。その活動が始めたきっかけのおひとりである、西京極のBMX SHOP HANGOUTのオーナー中村辰司さんにお電話してお話を伺ってみた。中村辰司さんの息子さんである中村輪夢選手は、世界中でご活躍されている第一線のBMX選手だ。今回、熊野寮の歴史を探った同人誌を作成した旨をお伝えし、当時の雰囲気を詳細にお聞かせいただいた。当時を懐かしまれる口調で、丁寧にお答えいただけた。

中村さんインタビュー

  • 開設のきっかけ
     京都市役所のエイズ撲滅キャンペーンが中村さんが21歳のころ(1997年ごろ?)にあり、そのBMXイベントで自転車競技にかかわる京大生二名(一人は寮生でないがモリモトさんという、もう一人は寮生)とつながりができた。そこで、寮のフットサルコートにBMXのローカルパークを作ってみようと話が進んだ。

  • 移設
     最初は寮の最も東側のテニスコートに設置していた。開設から10年ほど経過し、フットサルコートとしてテニスコートを利用したいとの声が寮生からあがり、元の場所の西側を整地し、ローカルパークを移設した。

  • 中村輪夢選手
     中村輪夢選手は2005年ごろ、つまり三歳のころから熊野寮のローカルパークを利用されていた。夏休みなどは毎日かなりの時間をそこで練習していた。熊野寮のローカルパークで育ったといっても過言ではない

  • 終焉
     ここ数年は、中村輪夢選手の海外遠征やBMX以外の仕事も増えて、ご後進の方々に引き継いでいた。それ以降はノータッチだった。ご後進のご担当の方々も、しばらく寮での月一の利用会議を継続されていたが、高齢化や利用者減少のため、少しずつ解体の流れになっていった。BMXが正式種目に採用され、盛り上がりのあった東京オリンピックのころには利用者が減っており、少し残念だった。

 移設のお話は、熊野寮50周年記念誌(下)p. 216 に、03年入寮の方もご記載されている。キッズライダーたちの全国大会も開かれていたようで、私の在学中に小学一年生くらいだった子が、入寮したころの私と同じ年齢になるころには、世界で活躍されている。当時、寮内ですれ違っていたかもしれない。感慨深いものがある。

当時の記録

 当時の活動の様子は動画も残されている。

 小さい子たちがバリバリとジャンプしておる。当時の寮の建物は2010年頃に耐震工事が済んでおり、鉄骨の骨組みが外観から確認できる。国土地理院の航空写真をよ~く見ると当時の面影がある。

2008/05/06(平20) 寮の俯瞰

 寮敷地北東フットサルコートとB棟の間あたりに白い四角形が見える。動画でもちらっと確認できる、農具倉庫のような場所だ。その南側と東側の開けた場所が当時の京都ローカルパークとみられる。ここは今では鶏が闊歩している。

新たなるパーク

 2020年、中村輪夢選手のために、東京オリンピックに向けて世界一の規模のフリースタイルパークが宇治市に開設された。

所属先が新設した中村専用パーク「Wing Park 1st」は総工費約4億円かけて造られた。ライダーの動きをデータ解析する技術を導入した世界初のパーク(後略)

BMX中村輪夢の地元・京都に世界一4億円パーク…五輪金メダルへ「理想」ジャンプ磨く : スポーツ報知 (hochi.news)
2020年1月23日 6時10分スポーツ報知

 すごい規模だ。中村輪夢選手のご活躍と中村辰司さんのサポートによってスポーツ文化に大きな華を咲かせたのだ。

パーク内に設置されたセクションも、父・辰司さんとともに中村が考えた。京都市内の自宅から約40分の場所に拠点が完成。「これまでは練習のために海外に行くこともあった。これだけ近くに理想のパークがあると、移動時間を練習に回せる」。

BMX中村輪夢の地元・京都に世界一4億円パーク…五輪金メダルへ「理想」ジャンプ磨く : スポーツ報知 (hochi.news)

 これはもう、熊野寮から物凄い選手が出たんやぞ!と言ってもいいのでは。ってそれはさすがに言い過ぎか。世界でご活躍されている方に乗っかって、無関係なものが鼻にかけてはいかんいかん。

社会的意義

 ただ、場所の提供という点で、地域社会との融和、小さなお子様の活動の応援、スポーツ文化の発展への寄与など、実はとても意義深いことを寮はしていたのでは。なんにでも使える場所として開放されていたことが、思わぬきっかけにつながった。BMXを楽しまれ交流されていた方々が、当時たくさん集まっていらしたのだ。
 京都市は、実は昔から公園面積が少ないといわれており、多目的に使える公共の場所となるとより厳しい。大学は本来、そうした多目的な需要を満たせる場所であるはずだ。杉本さんの「京大的文化辞典」曰く、昔のA号館(今でいう吉田南総合館のある場所)では、施錠など実質的になく24時間いつでも入館でき、五山送り火の日などご近所の方が屋上に集まって学生と一緒に東の大文字を眺めていた。また、同じ本には吉田寮食堂が学内外でのサークル活動に活発に使われている話も紹介されている。2004年ごろにあった百万遍の石垣カフェなど、一見めちゃくちゃだが、実は空間の使い方は誰が決めるのかといえば、それは関わっている皆ではないか、という疑問を実践する場だった。公共の場所を誰かが使うとき、人々の情熱ややりたいことがまず最初にあり、そこから安全配慮や利害関係調整やルール決めが行われるべきであって、お上の勝手な規制が最初なのは変でないか、というか、みな規制ありきだと思い込んでないかい、という思いが詰まっている(石垣カフェ――遊戯的実践の空間 笠木丈)。

7か月で延べ3000人以上が訪れた 石垣カフェ――遊戯的実践の空間 笠木丈

 スポーツや絵画や音楽など文化的な表現活動は、まず自由に動ける広い空間があってこそ可能になる。「こういうことしていいんだ」という気づきが、体だけでなく心も自由にしてくれる。大学に限らず、公園を含む公共空間の利用に関する議論の際、熊野寮にあった京都ローカルパークは素晴らしい事例として紹介されていいと思う。寮内外の、BMXを愛する多くの方々によって支えられた場所だったのだ。今はすっかりなくなってしまったが、設備を維持管理された方、各所と調整された方、トラブルがあれば対応された方、そして一直線にスポーツに打ち込んだ方、たくさんの努力が詰まっていただろう。

きっかけのイベント

 京都市のエイズのキャンペーンに関しても調べてみた。京都市人権文化推進計画曰く、「平成7(1995)年に『京都市エイズ対策基本方針』を策定した。また,UNAIDSが提唱する『世界エイズデー』に賛同し,12 月1日を中心にエイズに関する正しい知識等についての普及活動を積極的に推進」とある。また、API-Net エイズ予防情報ネットの資料では2000年以降しか見つからなかったが、京都市保健福祉局保健衛生推進室地域医療課によりエイズ啓発街頭キャンペーンが行われ、毎年12月初頭にさまざまなイベントが行われている。1997年ごろはその一環としてBMXのイベントが行われていたと推察される。さらなる裏どりの資料を探しているので、もしご存じの方がいらしたらお教えくださいますと幸いです。

まとめ

 中村辰司さんには他にもたくさんの思い出をお教えいただけた。「寮の学生はいつもいろいろぶっ飛んだことをされていて印象に残っている。すごいところで綱引きしたり、キジみたいな鳥を飼ったり、砦みたいなものを作ったり、臭い缶詰を開けて食べたり、たまに絡むといつも楽しそうやと思ってた」と、よき思い出として振り返っていただけた。それらのお祭り、おおむね今でもやっております。

 ひょっとして喧嘩別れみたいな形で、悪い思い出として残っていらしたらどうしようと思いつつ、ドキドキしながらお電話させていただいた。けれど、そんなことはなかったですよと笑ってお答えいただき、気さくに質問に応じて頂いて本当にうれしかった。BMXショップは近年休業気味とのことだったけれど、第一線で業界をけん引し、京都にBMXの文化を広げる素晴らしいご活動をなさっている中村さん親子の今後のご活躍を御祈願させていただきたい。中村辰司さん、急なお電話にもかかわらず、本当にありがとうございました。


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