実際に住んだ街から紐解く、東京という街について(③江戸川区編)
③小岩駅(江戸川区)
かくして世田谷区のシティ感を纏い、鍋も使いこなせてきた頃、2年の年月が過ぎて更新の時期を迎えた。
結論から話すと、次の行き先は江戸川区。
まずは何故急に江戸川区に飛んだのかについて説明しないわけにはいかないだろう。23区限定の地図で見ると一目瞭然だが、一番左から一番右への大移動である。
一つは、大学が3年でキャンパスが御茶ノ水に変わったことで、それまで電車で5分と近かった大学が遠くなったこと。
もう一つは、折角上京してるのだから、このタイミングで別の街に住んでみてはどうかとの父親の意見であった。
それもそうだねと、御茶ノ水駅付近の駅を探すも、山の手線の円の内側は学生が住むには値がはりすぎる。
結局、御茶ノ水駅を中心にして中央・総武線上の20分以内という条件から、高円寺と小岩周辺が候補に名乗り出た。
今の場所から近いところで高円寺が第一候補に浮上したが、ここで待ったがかかる。当時敷金礼金なしで引っ越しに優しいレオパレスで部屋を探していたため、再度契約期間の問題が浮上した。空きがないのだ。
「高円寺、空きなし。反対側の小岩、空きあり。」
こうして、急抜擢された江戸川区での新生活がスタートした。
住んでみて数日経って、なんとなく感じていた予感は、実感に変わった。
千葉が近い…。
そうなのだ、荒川を越えた時点で、もうそこはもはや千葉のテリトリーであったのだ。
小岩と携帯で検索する度に「治安」というワードがチラついていたので気にはなっていたが、これか、と思った。
当時、夜通しカラオケで過ごす、いわゆる「オール」なるものが流行っていて、例に漏れずせっせと通っていたわけであるが、明け方の帰路では普段見ないような方々ーーこれくらいの表現でとめておくーーに多くすれ違った。
そもそも酒とライトを浴び続けたオール明けでろくに頭が回っていないので、気のせいかと思っていたが、毎回そうなのでそうなのだと気付いた。世田谷では全くをもって見なかった光景だ。
これも東京の一部なのか。だとしたら世田谷からの振り幅がすごい。フレンチの後に二郎をハシゴするようなものだ。
実際ラーメン二郎は家のすぐ側にあったわけなのであるが、未だ経験したことのないあらくれ者の街で何かを新しいことが得られるかもしれないと意識を切り替えた。
千葉感を目の当たりにしたのは、派遣で不動産屋の駅前でのティッシュ配りのバイトをした時の思い出が印象的である。
世田谷スタイルというわけではないが、私は一人ひとり声をかけながら丁寧に配っていた。しかし受け取ってもらえる確率は低く、効率が悪かった。
見かねた上司が、こうやるんだとーーこれが小岩スタイルだとまでは言わなかったがーー見せてくれたのは、電車から人がどっと流れてくるタイミングで手すりのあるスロープに人が一列に流れてくる。この流れの出口に待ち構え、ポンポンと流れ作業方式で配りまくるやり方だった。
無意識での前習いの精神で、人々は面白いくらい順々にティッシュを受け取っていく。それまるでベルトコンベアで部品が付与されていく製品のようでもあった。
なるほど、セブンイレブンのおでんのつゆは、全国各地でその味をその地域に合わせる形で変えているという話を聞いたことがあるが、それはティッシュ配りにも同じことが言えるらしい。
要領を得た私は、数分おきに下車する回遊魚組は小岩スタイル、それ以外の時間はもらってくれそうな高齢者に対して丁寧に一本釣りを狙う世田谷スタイルという二つの方法を組み合わるスタイルを編み出し、時間内に効率良く大量のティッシュを配りまくった。
真夏の最高気温が出た夏だった。汗だくで、しかもスーツで。
その成果(?)が認められたのか、派遣ではなく直接雇用ーーしかも時給1.5倍は大きかったーーのオファーを頂き、後日何回かそこでバイトをした。
そんなこんなで半年程生活した矢先、高円寺に空きが出たとの情報が入り、二つ返事で再度引っ越しの準備を整えた。
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