「感情」とは

僕は「感情」移入が強い方である。
なぜそうなのかを考えてみた。
たぶん、僕は「素直」な生き物だからだ。
素直すぎるのかもしれない。
嬉しいことはうれしいし、
悲しいことは悲しい、
悔しいことは悔しい、
感情が表に出やすく、感情からの行動がすごく多い。

これは今までの自分を振り返ってそう思う。
しかし、今、会社という組織の中でインターンという立場ではあるが一員として働いてる。
人間関係をはじめ、充実している毎日に多くの感情が生まれる。
すべての感情にコントロールされていては何も成長できない。


そんな僕は最近、感情的になることは間違っているのではないかと思う。
とりあえず、フットサル部のみんなには感情をぶつけまくっていたから一応謝りたい。一応ね。すまん(笑)

何で僕が感情的になることが間違っているのではないか、と思ったのか書いていこうと思う。(実際自分でも整理できていないが書くことで整理されてくると思うw)

僕はここで英語の勉強が続かなかった。自分で挫折した。
その原因をめちゃくちゃ考えた。出た答えが、
自分の原動力が感情にありすぎるから
だと思う。
というのも、英語ができるようになりたい!とか心の底から思ったことは一度もない。少しは思うときはある。けど、強く揺るがない思いがないからモチベーションが維持できずに挫折したのだと思う。
逆にフットサルはどうだったのかというと、モチベーションの高低は多少はあるが挫折とか、辞めるとかそういう選択はなかった。結果という目標に対して、なかなか成長できず勝てない時期もあった。強い思いがなければとっくにやめている。

なぜ続けられたのか。

それは確実な目標があったからだ。
その目標が経つ前に心底悔しい思いをしたからだ。


今の話しからすると、感情的な僕は、スイッチが入ったら一気に努力できると思う。達成するまで辞めない気持ちはある。しかし、何かを達成するために毎回毎回、心を動かされるだけの経験をするということは現実的に難しい。しかも失敗してからじゃないと動けないというのは致命的である。
それが英語である。できるにこしたことはないし、できたほうがいいことはわかっている。大したきっかけもないが目標はある。それを達成するうえで努力し続けることに感情はいらないと思う。逆に、感情で動いていたらモチベーションが続かない。

解決策としては、「無心になる」ことができるようになる必要があると考える。別に感情的な性格をすべて直す必要もない。
「無心」で何かに取り組むことができれば、モチベーションとかに左右されることなくルーティンのように努力することができるなと。

とりあえず、英語で試してみます。いやだけど。

勉強はそもそも好きじゃないけど、最近考えることが好きになった。

noteは基本的に自分のためにやってるが、周りの人のを読むのもすごく楽しい。同じ話題について書くとかもいつかしてみたいなー。

以上。おしまい。


沖永良部島→福岡 北九州/体育会フットサル部#11/地域創生学群/海外留学/島魂