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エモい話はじめました 後編

そのときにふとOさんが、姉の結婚式で愛の挨拶を伴奏しましたよと教えてくれました。
曰く叔母が楽器の先生をやっていたらしく、自身も小さい頃からピアノをやっていたもよう。
叔母がヴァイオリン、Oさんがピアノで弾いたようで、私にとっては思い出深い曲なのに僕さんには愛の挨拶を聴くと震えて動悸が止まらなくなるんですねとけらけら笑われました。

それから程なく付き合いがはじまり、エルガー先生が愛の挨拶を通して教えてくれた、同じ方向を見ていても環境やバッググラウンドが違えば見方が変わってしまう、価値観の共有の前に事前に相手を慮り足並みを揃えることが大事なんだという当たり前のことを考えていました。

季節は春から夏、そして秋へと向かう時間は大小さまざまな喧嘩を孕んでいたものの適当にリズムを掴んでいました。いたような気がしていました。
春は梅を見に京都に向かい、夏はいくつかの花火を見て、秋には陶芸したりお茶会したり。結婚願望の強かった彼女に合わせるように急いで逢瀬を重ねていた気もしますが別に悪い気もしていなかった。
ポジティブなことばかりではなかったし、赦せない過去もあったけれど、心の中のリトル・アンディが「許しあれ」と言ったとか言わないとか、アストラギウス銀河を二分するギルガメスとバララントは、もはや開戦の理由など誰も知らない戦争を100年も続けていたりとかで上手くやれていたと思います。

そして半年ほど経ったいつかの10月に指輪を渡し、後は苔を生やしながら転がるだけだなんてほんの少し自嘲的に浸った夜がありました。

そこからは式場はともかくおおよその日程などを決めたり、その前の両親の顔合わせの手筈などを決めている時にギクシャクしたのを記憶しています。
まあコラテラルダメージみたいなものだと思っていた、両親顔合わせの5日前に突然の婚約破棄の連絡がありました。
内容云々は置いておいて男女交際によくある話らしいです。まさかそれが我が身に降ってこようとは。


エモい話はここから始まり、一方的にキャンセルされた両親顔合わせの日にOさんが荷物を取りに来られたんですよ。それが済んだ後、夕方自宅に荷物が届きました。ダイレクトメール。

僕は結構ロマン派な方で豊中ロマンチック街道を堂々と歩けるタイプな人間です。
こんな未来を露知らなかった5日前の僕、或いは浮足立っていたかもしれない僕は、音楽教室にヴァイオリン講座の資料請求をしていたいたんですね。
楽器触ったこともあまり無い、どちらかといえば不器用、式に間に合うかどうか分からない、でもサプライズで愛の挨拶を弾いてみたいと。

そのDMを受け取り、ノールックでゴミ箱に捨てたあの瞬間は、瞬間最大風速的に世界で一番エモかったであろう自信があります。

そうか?そんなにエモいか?と思われている人がいたら、一度婚約破棄されてみたら良いと思います。大体のことはエモくなるから。

最高の調味料は愛情だとか言いますが、それと同じでスパイスが劇物であればあるほどエモさも指数関数的に増大すると身をもって知ったよって話。
*某音楽教室には悪いことをしたと思っていることを追記。

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