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キックバックで泡銭

ビジネスの世界は基本的に不公平。美味しいポジションに、いかに立つ事が出来るかで収入が一桁も二桁も変わる事がある。俺(阿部)はトーキョー特区(実験特区)では最も格式の高い会社である都倉グループで市場開拓に関わる仕事をしてきた。お陰で、とんでもなく美味しい仕組みの恩恵を受ける資格を得た。

その1つがキックバックの仕組みだ。


古巣のキックバックの仕組み。

簡単に言えば、クライアントを都倉グループに紹介し成約すると、案件により1%~5%程度のキックバックを受け取る事が出来る。

古巣の都倉グループは主に、財務、起業組織、経営戦略、ITシステム、市場開拓等々の支援を行っている会社で、クライアントも大手企業がメインの為、1件辺りの受注額も大きい。(数億から10億超えの案件が普通にある)

実際、俺の先輩には、特区外からの新規進出支援の案件を1件会社に流しただけで、キックバックで5千万を手にした人も居る。それも、たまたまその先輩の従兄弟がその会社のCMO(最高マーケティング責任者)だっただけで、当人が営業努力をして獲得した訳では無い。

ただし、キックバックの仕組みも、都倉グループ出身者であれば誰でも恩恵を受けることが出来るという訳ではない。


資格。

都倉グループのキックバックの仕組みの恩恵を受けるには条件というか資格が必要だ。

1つ目は、独立時に係長以上の役職に就いていた事。(他社に転職する場合、資格は消滅する)

2つ目は、都倉グループの人材バンクのテストを受け合格している事。(独立時に人材バンクの担当者の面接試験を受け合格している事)

3つ目は、都倉グループのOB会に登録し、年会費を欠かさず払い続けている事。

この3つの条件を満たしたモノだけが、キックバックの恩恵を受ける資格がある。

都倉グループでは通常、係長以上の役職に出世するのは大体35歳前後になる。俺の場合、直属の上司が相継いで色々とやらかしてくれたお陰で、30歳にして係長に昇格するという幸運を得た。

その後、34歳で独立するが、もちろん都倉グループのOB会に登録した。現在35歳だが、既に2社の案件を古巣に流して、計数十万のキックバックを手にしている。

しかし、今回得ることになったキックバックは、もはや桁が違かった。


意識してない時に美味しい話は転がってくる。

桁が違うだけではない。コチラから営業したワケでもないし、友人知人から話が齎されたワケでもない。正直、「あれよあれよ」という間に、美味しい話が転がってきて、自ら拾いに行ったワケでもないのに、「ハイどうぞ」って渡されただけだった。

そして、渡された美味しい話を古巣の同僚に「ハイどうぞ」って横流ししただけで、大きな額を掴む事になったのだ。

では、どうやって美味しい話を手にしたのか?

独立して2年目だった。たまたま参加したSNS系のマーケティングセミナーで、大学時代の先輩Bさんと再会する。数年前に大学時代の共通の知人の結婚式で会って以来の再会だった。

現在、B先輩は日本舞踊のある流派の師範の資格を有しており、昨年自らの稽古場を構えたそうだ。個人稽古に団体稽古、さらにはハイクラス向けのサ高住(サービス付き高齢者住宅)への出張稽古などもしているそうで、現在は実家の商売を手伝いながらではあるものの、いずれ「師範の仕事だけで充分成り立つようにしたい」と意気込んでいた。


弟子募集。

そんなB先輩が、なぜマーケティング系のセミナーに参加したのか?

話を聞くと、お弟子さん募集の為だそう。てっきり、マーケティングの知識を使ってお弟子さんを募集するのかと思いきや、起業家や経営者さんといった「金持ち候補」及び「現・金持ち」にアプローチするのが目的なのだという。

何でも、先輩の同門のSさんが、上手い具合に金づる…、じゃなくて資産家を捕まえて、会社の社員研修(日舞指導)の仕事に、社長保有のビルの一室を稽古場として提供してもらったのをキッカケに、家元の覚えめでたく、異例の準師範に昇格したのだそうだ。

B先輩曰く、「実力的に微妙なのに、バック(後援者)が強いからという理由で、異例の準師範になった奴」らしい。でも、そのSさんを見習い、こうして「金持ち」ハンティングに来てるのだから、人の事は言えないよな。


茶道のお稽古へ。

そんなB先輩に誘われ、一緒に茶道のお稽古へ行く事になった。

実は、俺も、とある小説を読んでから、茶道にはちょっと興味を持っていたのだ。心を落ち着けるではないが、何か、そういう大人の趣味を1つ持ちたいと思っていたので、有り難く同行させてもらう事にした。

後日、B先輩と一緒に、都内の閑静な住宅街にある、X流の後継者であるY先生の稽古場へと訪れた。古いお屋敷の正門から中に入り、石畳の上を辿ってゆく。手入れの行き届いた庭の植木の間を抜けると、奥には最近建てられたであろう4階建てのビルがある。

一応、外観は土蔵造りというか蔵作りっぽくしているが、実際は鉄筋コンクリ造だと思われる。ていうか、この住宅街「4階建てOKなの?」という疑問が湧くのだが……。

まあ、いいや。(多分1階が地下という事にしたのだろう)

そのビルの2階にある20畳くらいあると思われる和室で、今日の稽古が行われた。


後継者のY先生。

教室には私と先輩を加えて8名。緑色の座布団の上に正座や胡坐で、扇状に並び座って待っていた。なお、扇の要の部分には、紫色の座布団。しばらくすると、私と同世代くらいの男性が跪座で襖を開け、扇の要の紫の座布団に丁寧な足の運びで座り、深々と座礼をした。素人の私が見ても、モノが違うと分かるくらい、所作というか動作が美しかった。

もちろん、この方が、X流の後継者であるY先生だ。

茶道の稽古は、座る立つの練習から始まり、少しずつ茶器を使っての稽古へと移っていった。私はB先輩や他の方のお手前を見様見真似でこなしていたが、慣れてないせいもあって、隣のマダムに「あなた下手ね」「こんな事も出来ないの」「ホラ、良く先生のを見なさい」などと小言を浴びながらの稽古だった。

稽古中、足が痺れ、先生の「無理せずに一旦崩されて下さい」に従い足を崩すと、隣のマダムから「まあまあ今時の子は」との小言の後で、センスで腿の辺りを叩かれた。何か嫌な感じ……。


態度急変

稽古が終わると、それぞれ持ち寄った和菓子とお茶での茶話会になった。

マダムから「あなた何やってる方」と聞かれ、「独立してコンサルとかコーチングの仕事をしてます。」と返し、「前職は何やってらしたの?」という質問に、「都倉グループで市場開拓の仕事をしてました」と答えたら、旧にマダムの態度が変わった。

「えっ、貴方都倉グループ出身なの」
「はい」

以後、マダムの私に対する態度が急変し、柔和な表情に丁寧な言葉遣いになった。こうまで変わるか? 先ほどまであんなに小言を浴びせ続けていたのに……。

しかし、こういう時に思う。バックが強え~ってありがたい。

態度急変後のマダムと意気投合し、稽古場からの帰り道に駅近くのホテルのカフェにB先輩と共に誘われた。カフェでは、私というより私の古巣都倉グループについて、あれこれ質問され、帰り際には、「今度、内に遊びにいらっしゃい」と言われ連絡先を交換した。

ホント、つい2時間前迄、嫌味な小言を浴びせ続けていた人とは思えない。


後日、ご自宅に招待される。

後日、都内一等地にあるマダムの自宅マンションに招待され、B先輩と一緒に訪問した。

高台にある5階建てのマンションで、コンシェルジュサービス、マンション内ジム、来客向けの部屋などが付属する、余裕でサラリーマンの平均生涯年収を超える、いわば超高級マンションだ。その5階の一番景色が良い部屋がマダムの自宅になる。

自宅は5LLDDKKという間取りにトイレが3つ、バスルームが2つあり、Lは余裕で30畳超え。ちなみにLとDが2つずるあつのだが、それぞれ1つが来客用のリビングダイニングを現している。メインのリビングからの景色自慢に数分付き合うと、来客用のリビングダイニングに通された。

来客向けのリビングダイニングは、広さにして15畳くらいだろうか?

真ん中に10人掛けのダイニングテーブルがあり、その奥がカウンタータイプのキッチンになっていて、お友達同士のお茶会では、わざわざ有名シェフが出張してきて料理を振る舞ってくれるそうだ。

流石に俺とB先輩にはシェフの出張は無かったが、アフタヌーンティーを準備してくれていた。3段のスタンドに下からミニサンドイッチ、焼き菓子、ケーキが金縁のホワイトトレイに綺麗に並べられている。

マダムによると、サンドイッチは近所の超有名パン屋で特注。焼き菓子はマダムの友人が経営するスイーツ店から取り寄せた物。ケーキは何と娘さんが作ったそうだ。

俺は、一応は気を遣い、先日の茶話会で御一緒した中古車屋を経営する初老の男性の話題を振ってみた。俺の観察の限りでは、マダムと仲良さげにしていたので、「あの方は何をされてる方なんですか?」と、本当は知ってる情報も全て知らない態にして、なるべく話題が続くよう、テキスト1ページ目から開いたつもりだったが、「あ~、あの方。あんまりあの方の話はしたくないわ」の一言で話題が終わってしまった。

戸惑ってしまった。

最初にこうなってしまうと、もはや、どこに地雷があるか分からないので、下手に話題を振る事も出来なくなってしまう。

そんな場を察してか、B先輩が壁に飾ってある現代アートを入口に、美術館トークでマダムとの話題をつなぐ。

「あら、あなたよくご存知ね!」

マダムの声が弾んだ。
流石、B先輩。
普段から、上流階級系トークに磨きをかけているだけあって、その後、話題は途切れる事なく、むしろ盛り上がっていった。俺は、ハイソ趣味に疎い道化役に徹して、ただ只管太鼓持ちに全力を注いだ。


娘さん。

しばらくすると、ケーキの作り手でもある娘さんが挨拶に訪れた。

現在、音大でピアノを学んでいるそう。マダムのススメもあり、電子ピアノで一曲披露する。音大でピアノを弾くとなれば相場はクラシックだが、ビリージョエルのピアノマンを弾いたので、我々に気遣って選曲したのかもしれない。

多分、メッチャ良い人だと思う。

その後、B先輩が娘さんの腕を誉め、マダムは機嫌良さそうにしていたが、肝心の娘さんは、「自分は才能が無いのでプロには成れない」「私なんて三流です」と謙遜なのか正確な自己評価なのか分からないが、B先輩のヨイショを恥ずかしそうに否定していた。

ピアノマンの演奏を終え、B先輩が娘さんに音大事情について質問していると、マダムの電話が鳴った。

「パパがそろそろ到着するわ。ちょっとごめんなさい」
というと、マダムがダイニングから出て行った。

その間、娘さんが私達を歓待する。凄く気遣いの出来る素敵な人で、「お二人はどういったご関係なんですか」「休日は何されてるんですか」といった具合に私達に話を振っていた。

5分くらいすると、上下白のシャツとパンツに着替えを終えたマダムがダイニングに戻ってきた。
「良かったら一緒に出迎えましょ」


主人の帰宅

B先輩と私も、旦那さんの出迎えにと玄関へ移動した。玄関に移動すると、間もなく旦那さんが帰宅する。

どこかでお見掛けした事があるぞ……。記憶を頼りに思い出そうとするが思い出せない。

帰宅した旦那さんは、靴を脱がずに玄関で一礼。すると、マダムが旦那さんに近づき、何やら儀式めいた事を始めた。まず最初に旦那さんの周囲に塩を撒く。次に多分銅製の口広の酒器に紙垂のかかった日本酒の瓶を傾け注ぐ。続いて酒器の日本酒を、榊の葉ですくい旦那さんの周囲に撒く。最後に、ハンドベルを一振り。ハンドベルの残響中、旦那さんもマダムも娘さんも目を瞑ったので、私やB先輩もそれに倣う。残響が止むと、マダムの「はい」と、旦那さんの「ありがとうございます」×3で儀式が終わった。

儀式が終わると、マダムは早速、私達を紹介した。
「パパお帰りなさい。こちらの方、この前話してた人よ」
旦那さんが私達に一礼すると、
「わざわざ遠い所からお越し下さりありがとうございました」
と言って握手を求められた。

あれ? この印象の良い感じも記憶にあるぞ。
誰だ?誰だ?

そのまま5人でダイニングへと移動。俺は脳みそをフル回転させて、過去の記憶との照会を行うのだが、誰だか思い出せない。
 
ダイニングに到着すると、旦那さんが堂々とした口調で自己紹介を始めた。
「申し遅れました。Aと申します。現在、D社の社長をやりながら、○○神社の氏子総代なんかもやってます」
あっ! そうだA社長だ! そう、年商3500億のD社の創業者でもあるA社長だった。ビジネス誌等で何度も見ていたから、薄ら記憶していただけで、実際に会った事は無かった。

その後、B先輩の住まいヨイショが始まる。

最初は「いえいえ、そんな……」と控えめだったA社長だったが、B先輩の聞き上手の前に、途中から楽しそうに住まいのこだわりについて披露してくれた。俺はさっぱり分からなかったが、風水みたいなものにこだわってると思ってもらえば良い。しかし、B先輩は、こういう権力者に取り入るのが本当に上手だ。

なお、こちらのマンションは自宅ではなく別宅だそうだ。娘さんが都内の音大に入学が決まった段階で購入したセカンドハウスで、現在、マダムと娘さんはコチラに住んでいる。A社長一家の本宅は京都にあり、現在は週末だけ東京のセカンドハウスに滞在しているそうだ。

その後、マダムの「そうそう、あなた」という声掛けに、A社長が「そうだ、そうだった」と返すと、A社長は私の方に向き直り、姿勢を正した。

「そうそう、今日はね、え~とお名前は」
「はい。阿部と申します」
「阿部さんは都倉グループ出身の方だと伺いましたが……」
「はい。市場開拓の部署に居ました」
「そうなんですね。実はお願いがありまして――」

A社長のお願いとは、新しいシステム導入支援の依頼だった。
創業して間もなく導入した社内システムが古くて使い難くなってしまったそうで、都倉グループのグループ会社が開発したシステムを新たに導入したいとの事だった。詳しく質問されるものの、俺はシステムの専門では無いので「今度、詳しい人間をつなぎます」とだけ答えた。

A社長からは「そうして頂けると助かります」と、最後まで敬語だった。

これが、とんでもない事に……。


案件育成。

後日、古巣のグループ会社の同僚Fにつないだ。Fとは古巣のサッカーサークルで一緒で、サッカー以外にもコンパからナンパ旅行まで、よく一緒に遊んでいた仲だ。Fからは「OK任せておけ! 案件育ててやるから!」と言われた。ちなみに「案件を育てる」とは、要するに受注額を大きくする事。

以後、A社長や先方の担当者とのやり取りはFが担当した。1ヶ月くらいで具体的な内容まで詰めたみたいで(通常もっとかかる)、最終的には受注額にして10億超えにまで育った。

何と俺は、キックバックだけで1500万超も受け取る事になったのだ。

Fからは感謝された。何しろこの1案件で当人の年間目標粗利高を突破したもんだから、「後期は遊んで暮らせるよ!」と喜んでいた。

ただ、Fの部下(俺と仲良しの後輩)からは、「今でも結構忙しいのに……、こんな大きな仕事困りますよ」という恨み節。
「でも、その分、残業代で稼げるでしょ」と聞くと、「僕ら年俸制だから、給与はPJ手当で少々増えるだけなんですよ」と返ってきた。

そうだった。古巣のシステム系の会社は年俸制だった。
「ごめんごめん。変わりに何か奢るからさ」
「じゃ、レストランSのシャトーブリアン良いっすか?」

ネットで調べたところ、1人辺りの単価7万円から……。ええと7万……、まあ、安いか。


世の中は不公平。

しかし、世の中って不公平だな。

俺はB先輩に誘われ訪れた茶道教室で偶然マダムに出会い、B先輩の話上手と、俺のバックの強さが、マダムの興味を惹いたに過ぎない。で、マダムに一方的に誘われ訪れたご自宅で、A社長に出会い案件ゲット。俺は、それを古巣のFに伝えただけ。あとはFがクロージングし、案件を育て、Fの部下が多大な労力を献上する。

俺は殆ど何もしてないにも関わらず1500万超のキックバックを手にする訳だ。

仕事を取ってきた奴が偉いという理屈は俺も分かる。でも、特に今回の案件など、俺が都倉グループのOBじゃなかったら、絶対無理だったよね。実際、偶然その場に行った、というだけで、俺の営業努力はゼロだ。にも関わらず、キックバックで美味しい思いをするのは、事実上何もしてない俺。

もちろん俺だって古巣時代には、割に合わないくらい労力を献上し続けてきたし、そもそも、この仕組みも会社が作ったもので、俺は、その仕組みの上で、踊っているだけだからね。いや、踊ってもいない、流されているだけだな。色々疑問は感じるけど、こういう仕組みなんだから仕方無い。

しかし、バックが強いってありがたい!

<了>

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物語、及び物語内に登場する人物・場所・施設等は全てフィクションです。クスッと笑えて、チョコッと為になる、そんな物語を書いてます。


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