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元高級ホテルの残照

出発準備

いつもは、色つき、柄もののワイシャツを選ぶのだが、今日は白無地のワイシャツに紺のネクタイを締めた。前髪は真ん中分けにし、普段は無造作に立たせる頭頂部も寝かせ、幼く見られるのが嫌だからだと、いつも1mmのバリカンで整えていた顎髭をT字のカミソリで綺麗に剃った。

そろそろ時間だ。

部屋の電気を消すろt、黒の紐付きの革靴を履き、黒の鞄を手にすると、1K8畳の家を出た。

中堅コンサルティング会社から独立して3年目。当初の予定では、独立3年目には年収2000万円を超えているはずだったが、1/4にすら到達していない。

直属の上司だった目黒さんの忠告を振り切って強引に退職したものの、残念ながら、現時点では目黒さんの忠告通りの結果になってしまっている。

「大山は会社の看板無しで仕事取るの難しいから、もっと経験を積んだ方が良いと思うぞ」
「お前がやって来た新規事業支援系の仕事は組織前提の仕事だ。独立時には武器にならんぞ」
「お前の感じだと、年配の社長がな、顧問をお願いしたいってならないんだよ」

当時は余計なお節介くらいに感じていたが、今となっては忠告を聞いておくべきだったと悔やんでいる。


セミナー講師の仕事

自宅最寄り駅から電車に乗り、都心のZ駅へと移動した。Z駅から地下道を抜け、高層ビル群が建ち並ぶ街区へと出る。途切れなく続く高層ビル群の間を5分ほど歩いただろうか、急にビル群の間に空が現れ、周囲から浮く……、いや沈むように、一際背の低いホテルAが見えてきた。

今日ここで、大手証券会社とホテルが共同で主催するセミナーがある。私はそのセミナーの登壇者の1人なのだ。

古巣の上司である目黒さんが独立後低調続きの私の為に、大手証券会社の担当者と知り合いだからと当セミナーの講師の仕事を取って来て頂いた。もう、感謝しかない。


控え室

軽く身だしなみを整えると、エントランス部からロビーへ。受付で用件を告げると、スタッフさんの案内で登壇者の控え室へと移動した。案内してくれたスタッフさんに頭を下げると、控え室の扉を数回ノックする。中からは何の反応も無かった。

誰も居ないのだと思い扉を開くが、中には目黒さんの知り合いの海老原さん(大手証券会社の担当者)が、1人で何やら作業をしていた。

「こんにちは!」

笑顔で、元気よく発声したつもりだったが、海老原さんは「あ~」と口を半開きにして、首先だけコクッと倒しただけで、再び作業に没頭した。

よく見ると黒のボールペンで葉書に何やら書き込んでいる。恐らくだが、セミナーに参加して下さった方に、後日送るお礼状(プリトンされたもの)に一言だけ手書きの文字を添えているのだろう。今やる必要のない作業のような気がするが、私が入室後も、一向に手を止める気配は無かった。

一応、世間話を振ってみたが、全く会話が弾まなかった。というより弾みたくない、という反応だった。

気まずくなり、控え室を出た。控え室を出ると、とりあえずホテルAの見学も兼ねて、少し離れた場所にあるトイレを目指す事にした。


ホテルA。

私が小さい頃は格式高いホテルの代名詞だった。

小学生の頃。伯母さん(母の19歳年上の姉)の長男(私の従兄・当時26歳)の結婚披露宴がホテルAの一番大きい宴会場で行われた。勤め先が官庁という事もあって、官庁に勤める同僚は勿論、政治家やテレビのコメンテーターといった有名人が列席するような披露宴だった。

私からすると退屈極まりない時間だったが、帰り際に母が「ホテルAの披露宴に列席出来るなんて名誉だわ」と言ったのを覚えている。正直、当時小学生だった私からすると、「名誉」の意味が分からなかったが、少し前まで、ホテルAはそういう存在だったのだ。


陥落。

今は外資系高級ホテルの相次ぐ参入の前に、時代の流れに乗り遅れるようにして、中級ホテルへと陥落した。一時期、時代から取り残された古くさいホテルみたいな扱いにさえなっていた。

だが、10年前くらいから、今日のセミナーにも関わっている大手証券会社の支援により、再生への道を歩み始めた。落ちぶれた元資産家のお嬢さんじゃないが、形振り構わずなんでもやるようになった。テレビのバラエティー番組にロケ地として貸し出したり、就活生のイベントに宴会の間を貸し出したり、自慢のレストランを、旅行会社の格安ツアーコースに組み入れたり……。

一応、年配世代には格式高かった頃の印象が残存している事もあり、観光ツアーのコースなどに、ホテルAのレストランが組み込まれると、すぐ売り切れるらしいのだが、若い人の場合はそういかない。

過去の栄光の残照に縋れるのも時間の問題だろう。


シニア向けのセミナー。

セミナー開始時刻が近づいてきたので控え室へ戻った。

セミナーのテーマは「老後マネー問題」。
4つのパートに別れており、

第1講座が再就職。
第2講座が財テク。
第3講座がシニア起業。
第4講座が投資。

私は第3講座のシニア起業を担当する。

テーマは「50代こそ起業時。あなたの経験が商品になる!」。もちろん私が決めたテーマでは無い。主催者から投げられたテーマだ。

控え室に戻ると、ホテル側の担当者である八木さんが私を待っていた。あと少しで第2講座が終わるそうで、そしたら休憩時間の15分を挟み、私の番になる。すごく感じの良い方で、先程とは違い話が弾んだ。

奥でスマホを弄っていた海老原さんが居心地でも悪くなったのだろうか、大きな欠伸の後で廊下へ出て行く。

八木さんによると、シニアという冠を掲げているにも関わらず、参加者の半分は50代だそうだ。私が「50代から起業ってなると、前向きな理由じゃない人が多そうですね?」と聞くと、「ええ、会社に居場所がない人とか、役職定年とか、色々問題があって将来が不安なんでしょうね」と返ってきた。

実際、申込時のアンケートを見せてもらったところ、

会社に居場所が無い。
潰しが利かない職業の為、今から転職が難しそう。
会社がリストラを始めた。そろそろ会社から追い出されそう。
今のままだと子供の学費に老後の資金を賄えない。
等々、後ろ向きな理由が多かった。

何だか世知辛い。


八木さんの今後。

セミナーは上々だった。

講演終了後、20人近い方と名刺交換をした。頂いた名刺を見て驚いた。いわゆる有名企業勤務で、現在管理職にあるような立派な方が多かったのだ。恐らく、30年前だったら「ここに就職すれば一生安泰だから」と言われてたに違いない。それが、今や……。

セミナー終了後、八木さんと控え室で話した。

担当の八木さんは来年50歳。八木さんも人生の岐路に立っていた。

再来年にホテルの建て替えがスタートする予定で、建て替え中は、当然だが事業を縮小し、3号館だけが営業を続ける。八木さんは、建て替えスタートの段階で退職が決まっているそう。

「退職後はどうするんですか?」と聞くと、「故郷の新潟で後継者不足で困っている旅館の跡でも継ごうかなって考えてるんです」と返ってきた。


ホテルAの今後。

ホテル取り壊し後、ホテルAは21階建てのビルに生まれ変わる。ビルの上階がホテルで、下階は商業施設とオフィスになる。営業再スタート後に3号館も取り壊しとなり、取り壊し後に土地を売却。跡地はサービス付きの高齢賃貸マンションに建て替わる計画だそうだ。

「全部、無くなってしまうんですね」
「はい。あと7年で全て無くなってしまうんですよね。何ですかね。親でも看取る気分です」
というと、寂しそうな表情で俯いた。
「もう、随分と長い間……」
「ええ、高卒で入社してから、もう30年ですからね。ホント育ててもらいましたよ。内はね、昔から従業員を大事にする会社で、福利厚生も分厚いですし、他のホテルと違って離職率が低くいんです。皆会社が好きなんですよね」

皮肉な話しだが、先行投資以上に従業員に資金を還元してしまったが故に、時代の変化に取り残されてしまった側面もあるのかもしれない。


堂々。

館内の至る所に建て替えのお知らせの張り紙が貼ってあった。一号館のレストランの入口にも「ホテル建て替えのため3月で閉店します」の張り紙。ラウンジのカフェにも、「4月いっぱいで営業を終了します」の張り紙。

何だか急に寂しくなった。

正面玄関から出て、少し離れた場所からホテルを眺めた。最初は高層ビル群の中にひっそりと佇む時代遅れな建物という印象だったが、こうやって正面から眺めると、実に堂々としている。

「遅れたのではない、流されてないだけ」

そんな風にも見える。建設時、設計士さんや職人さん達は、それを意識したのでは無いだろうか? 

何となくだが、もっと時を経れば、却って美しくなる気がする。もちろん、燻し銀の美しさではあるけど……。

なんだか勿体無い。

建て替え工事が始まる迄に、あと何度か客として来ようと思う。

(了)

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