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【午後 3時半】のギャンブル性

「1日が無駄に終わってしまう」と確信できる時間に起床した。

午後3時半である。

人によっては「まだ取り返せる」と思う時間かもしれないが、僕の場合はこの時刻から躍起になっても徒労に終わることがほとんどだ。

外に出ようにも準備が終わる頃には4時を過ぎているし、夕方からノープランで遊びに出掛けてもあてのない散歩になるだけだった。

どんなに中途半端に始まってしまった1日でも楽しく過ごす方法はある。お金をかけることだ。時間は金で買える。ただ、投資先を慎重に選ぶ必要があるのも事実。泥舟みたいな日にじゃんじゃかお金を落としたところで、宝船にはならない。

とりあえず「昼夜逆転を治す」「晩御飯をまともな時間にしっかり食べる」「適度に運動をする」このあたりを目標にかかげ、コツコツとやっていくのが吉だろう。損失を急に取り戻そうとしてもろくなことにはならない。

ひとまず日常に合流するため、くるった時間感覚を修正していこう。

こんなとき足掛かりになるのは、テレビだ。

重要なのは「3時半にやっている番組を3時半に見る」ということ。当然のようだけど、これが意外と感覚調整に効くのである。まだ寝ぼけてうつらうつらしている意識と神経に「3時半」を刷り込めば、うまくすると脳みそを騙して「朝から起きていたモード」へと回帰できるのである。僕はこれを交感神経ファストパスと呼んでいる。

ただ、交感神経ファストパスはハッキリ言ってガチャだったりする。これだって、結局ある種の賭けなのだ。

つまり──テレビを点けたとき、3時半にやってそうではない、例えばガッツリ深夜に放送されていそうな番組が流れてしまう場合があるということ。そうなれば、僕の意識は軽々と深夜へ引き戻される。

残り8時間強で日付を跨いでしまうタイミングでそんな大敗を喫せば、更なる昼夜逆転──僕は完全なナイトウォーカーとして第二の生を歩むことになるだろう。

日の当たる場所で生きていくか、夜な夜な行脚する存在に堕ちるか。そんな分水嶺が午後3時半なのである。

「3時半に起きる」というのは、どう足掻いてもリスクを取らねば巻き返せないほどの失態なのだ。

ただ、

ひとつ。

ひとつハッキリと掲げられる希望は──、

僕がこれだけ大仰にリスクを語りつつも「人であり続けてきた」という事実。そう、僕はこの賭けに、負けたことがない。

昔から、運はいいんだ。

──やってやるよ。

息を吸う。

最後にテレビを点けた記憶を手繰り寄せる。

リモコンを、手に取った。

・・・

・・・・・・

ショップチャンネルだった。

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