死ぬまでに何度「このままじゃダメだ」と思うのか

人間が人生で書ける文章量には限りがあるそうで。だれが言い始めたかは知らないけど、盲信するには充分耳触りがいい。

自分の勝負するコンテンツを「文章」と決めていたけど、決めつけていたけど、どうもそれも瑕疵を変える頃かもしれない。昔ほど、文字を打ってて、書いてて、ワクワクしなくなった。

小説をつまらない物だと思え…これも誰かが言っていた。ただ、その逆だってやっぱり聞いたことがある気がするけど。

今の自分の悩みは、面白いものを書こうとしすぎること。出力のスピードが、文章では遅すぎると感じ始めた。アイディアは無限に沸いてくるのに、プランニングと接合と輸送とサービスと…出力するには現実世界で多様に分業されているとてつもない行動と工数が求められる。すべてを頭の中でやるのだ。

目指しているのは言葉の企画屋だし、言葉の長距離トラック運転手だし、言葉の溶接工だし、言葉のプランナーだし。もちろん現実の彼らだって、言葉でコミュニケーションをとるのだ。

言葉のプロとは、なんだろう。

家を作るならまず土台からだ。次は壁、雨風をしのげるようになったら水回りや排水溝、寝床も早いほうがいい。

だけど自分は何より先に玄関の門のディテールに細かく意匠を施す。大地に意味もなく立つ作りかけの門を指して、これは何かと訪ねられ、家だと言えずにいる。

せめて胸を張って紋様の職人になればいいのに、どうしても家を建てたいのだ。

死ぬまでに何度、これじゃダメだと思うのか。

豪奢な門が、みすぼらしい骨組みになるまでは、ここに駄文を記していく。

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