8月の井の頭公園

8月中旬の井の頭公園をエモさに導びかれるままぶらつきなどしていると、ふいに懐かしさを伴って感慨が溢れ出てくる。

例えば、自分は本当に後悔していないのかなど。

高校生の頃、初めての彼女ができた。自分が部長をやっていた部活の、彼女は副部長だった。少し変わった部活で、運動部と文化部の間を取ったような活動内容に加え、顧問の先生はミーティングや大会など重要ごとにしか顔を出さず、普段のメニューはほどんど部長や各部署のチーフが指示していた(部署などというものがあったのだ)。

辺鄙な地方ながら進学校だったので、もちろん部活が世界の全てというわけではなかった。だけど人に指示を出したり、活動について外部と揉めた時の代表として矢面に立ったり、あの小世界で与えられていた役割は「小さな責任者」として、それなりに自分を大人にした。部活を通して学んだことは真っ当に多かったと思う。

これはひっそりと自慢に思っているのだけど、振り返ると、自分の人生で楽しくなかった時期はそんなにない。人に話せるような偉大なキャリアもないけれど、ばか騒ぎができる場所も、息苦しくない付き合いも、人並みの恋愛の経験だってある。

日常を慈しむことができるようになったのは、高校からだった。それまで自分は常に「大望に至る何者か」でありたくて、世界の中心でいたくて、周囲は価値のない余剰ばかりだと思っていた。それがいつの間にか普通に恋愛をして、いつの間にか失恋をして、「人間関係」という長い付き合いになる学びのオリエンテーションを済ませていた。


静かに微笑みを湛えること。

ポケットから抜きかけた微妙な手の位置。

他とは関わらないクラスの二人。

伝統工業。

ネットに転がる何かの数字と用語。


0か100しか知らなかった自分が、大抵はその間にある様々な微妙な物事と、感情を覚えたあの頃。夏の空気を胸一杯に吸って息をする陽炎の向こうの自分は、全然笑ってなかった。もともと自分は無表情なやつだったし、カメラを向けられて顔を作るのも苦手だった。

高校でも大学でも、そんな瞬間はうだる熱気に包まれながらちょっとずつ記憶に埋もれていて、時々つまづくように思い出すのだ。


変わらないことなんか絶対に出来なかったけど、あの頃のままでいれたなら、自分はそれを選ぶのかなぁとか。

夕涼みに、虫の鳴く道を歩く。この日を思い出す。

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夏の思い出

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