『シャーリーホームズと透明な瓶の底に沈む1月6日』


 シャーリー・ホームズと暮らした時間は、私の彼女への想い入れに反して決して長いものではなかったけれど、それでも私たちはともに何度か記念日を過ごした。デコレーションきらめくピカデリーのクリスマス、ありえないほど閑散としているstパンクラス駅。張り切ってチキンを焼き、換気アラームを鳴らしまくる家が続出する中、意外と缶詰を開けてすごす人も多いニューイヤー、そして彼女の誕生日1月6日。もちろん私たちの思い出のベイカーストリート221bで。
 この時期、冬の休暇を終え街に人が戻ってくると、通りのあちこちでランチ・マーケットが建ち始める。いい匂いに時々足が止まりそうになりながら、私は普段はめったに入ることのないM&Sのドアをくぐり、まっすぐに地下の食料品売り場へ向かった。ノンアルコールワインとちょっと高級なクリームチーズ、グースのパテを買って、ふと思い出し最後に花も買う。いつも思うけれど、最近のスーパーに設置されたセルフ支払いシステムはエラーが出まくって使い勝手が非常に悪い。そのたびに不機嫌な警備員に押しのけられるのも。
 とにかくくたびれた陸軍時代のバックパックにワインとチーズとM&Mの特大ボトルを突っ込んだ。さらばM&S。マークスとスペンサーが喧嘩別れした後でもいまだに英国に名だたる一大セレブスーパーよ、もう当分来ることはないだろう。私は通常コスタの民である。
 きっと今夜は、我らがシェフことカフェ赤毛組合のマスター、ミスターハドソンがシャーリーの好きな鴨肉のキッシュを焼いているころだけれど、私だって友人として彼女になにか贈りたかった。そのあてに苦労するのは、あの英国政府の必殺始末人であり、もう一つのクイーンの称号を持つ恐るべきシャーリーの実姉”レディ・クレバー(これはもちろんかしこいという意味と斧をかけているのだろう)・マイキー”が、チェルシーに路面店を持つありとあらゆるハイブランド品を221bに送り付けてくるからである。そんなことをされると私のような年金バイト暮らしにたちうちできるはずがない。まあ、財布でたちうちしようなどとはハナっから考えてはいないが。
 よって、せめてセインズベリーではなくコスタでもなくM&Sでワインを買うくらいしか、いまの私に選択権はなかった。これが私の精一杯の愛情。
(でもいいんだもん。私には寝落ちたシャーリーの枕になってあげるというオプションが待っているんだ)
 なんといっても親友の誕生日。シェアハウスで普通の女子友のように、チーズとハムとキッシュとワインで乾杯。それのなにが悪い?
 普段半人工心臓で生活しているシャーリーには、体内でアルコール分解するのは極めて難しいから、ワインといっても当然ノンアルコール。私はいつものように彼女とひとつのカウチで寝そべりながら、遠いなんとかという国で起こった通貨革命の話や、今年は蛇行する日本海付近の黒潮のニュースや、大麻解禁でお祭り騒ぎのアメリカの今後三年についての解説を受ける。そのたびに私はこんなふうに答えたはずだ。「あー、それよりインフルエンザの流行、どうなってる?」私は医者だ。冬と言えばバイト先で地獄が待っている。
 41番のバスを降りる。公園いっぱいに建つ真っ白いシェルターを横目にしばらく歩くと我らが221bが見えてきた。あのドアの向こうはマイキーからのプレゼントの箱でいっぱいだ。きっと私の居場所なんて埋めつくされている。だから私はいつもカウチで枕役。ミセスハドソンにやんわり就寝をすすめられ、葉っぱの模様が描かれたカプチーノを持ってきてくれたミスターハドソンが顔をしかめる程度には行儀悪く二人で座り、だらだらとそこにあるものを口に運びながら、なんでもない夜を過ごす。
 だってねえシャーリー。君が生まれてきたことは知ってる。出会ったから。
 いま生きていることもね。触れている君は温かい。
 だから特別なことはしない。必要ない。

「ジョー、ちょっと重い」
「あー、はいはい」
「マイキーのプレゼントの中身は服だ。好きなものをもっていってくれ」
「あのねえ、4号のヴィヴィアン・ウエストウッドとかそもそも着られるわけないだろ」
「努力という崇高な文字」
「辞書ごとアフガンで棄ててきた」
「ふむ、では僕がきみの腹の肉を愛する努力をして、左ほおを差し出そう」
 なんて、めったにない殊勝なものいい(デレともいう)をするから、思わず頬にキスをしてしまった。途端にピーとアラームが鳴ってマイキーに連絡が行ったようだけれど、あのおばさん、ほんと妹への過剰な愛をどうにかしたほうがいいと思う。国家権力を使ってなんの装置を開発しているんだ。

 暖炉には薪がくべられ、少し離れたところでバルミューダの加湿器が部屋に適度な湿度を与えている。ぱちぱちとはぜる火の音を聞いていると、自分の心にからみついた冷えた脂肪の粒まではじけて溶けていくようで心地よい。
(あー、だめだ。こうしているだけで、なにかがんばろうという意思がなくなってゆくよ)
 あの221bはそんな過去の自分が求めてやまなかったものをあまりにも安易に与えすぎた。私は飼い慣らされてしまった。そして――失った。

(もともと、身一つで生きることは嫌いじゃなかったのに)


 私たちの、わずかな蜜月。
 まるで、二人して透明な瓶の中で砂糖のシロップに浸かっている気分だった。

 そんな1月6日にもう一度逢いたいと、きみのいない1月6日を迎えて思うよ、シャーリー。
 お誕生日おめでとう。
 

今は、いまこそ、ケーキを買って、シャンパンを開けて、君の誕生を祝う特別なことがしたい。



END

いつもは本や映像や舞台にするための物語をつくっています。 ここでは、もう少し肩の力をぬいて、本などの形に仕上げることを考えず、気楽になにかを発表していきたいと思います。 ぶっちゃけサポートほんとうにほんとうにうれしいです。ありがとうございます。お返事しています。