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ウズベキスタン、行ってきたん(5)~旅の注意点と砂のサマルカンド~


ウズベキスタン。良い国ですよね。すごく楽しかった。

でも、旅はいろいろあるもの。ウズベキスタンに初めていく人は、以下を心がけてほしい(素人意見です)


1)ヤンデックス(ロシア版ウーバー)を必ずインストール。

2)simカードは現地で『Beeline』。一〇日以上居る人は3.5Gのプラン。

3)B&Bでは水が出ないことを想定して行こう。

4)湯はいつも出ない。(蛇口に頭突っ込んで水で髪の毛を洗う心づもりでトリートメントを)

5)マスク必須(マスクがないと死ぬ)

6)携帯用の加湿器をもっていこう。(死ぬ)

7)喉が弱い人は、龍角散のど飴を5袋くらいもっていこう。(死ぬ)

8)砂だらけなので、ウエットティッシュ必須。

9)リセッシュなどなどあったほうがよい。虫とかアレとか以外に多い。

10)昼と夜の温度差がすごいので風邪薬は大量に持って行け!!


そんなわけで、我々は高速鉄道でさくーっとブハラからサマルカンドまで移動。

砂!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(曇っているのではない)


砂、すげえ!!!!!!!!!!!!!!!!(サマルカンドの路面電車。基本人も電車も車も交通ルールなどない)



私がウズベクの飴っておいしい~!と気づいたのも、途中で龍角散のど飴の残弾が尽きて喉が逝ったからなんですね。


このへんで私達、ぼんやり気づくんですけど、

ウズベクは基本、ドル払いがけっこうきくんですよ。

で、タクシーの運ちゃんとかは、「10ドル!」とか平気で言ってくるんですけど、

なんとなくの体感ですけど、スム払いのほうが、ディスカウントききますね。細かいしね。でも77スム=1円なんですよね……。なので、値切るのも場合によるかと。



で、サマルカンド。(夜も絵になるさすが世界遺産)

駅、到着。ゲートを出るとものすごい勢いのタクシーの運ちゃん。まあ我々なんぞ狼の群れに投げ込まれる肉ですわ。

ハ「だいじょうぶだいじょうぶ、宿にタクシー頼んであるから」

と、余裕で無視していた我々なのですが、待てど暮らせど来ない。いない。

とうとう、我々がラストの客になりました。

サマルカンドの駅、ぽつねんと残される完全に観光客の平たい顔の民族二人。タクシーの運ちゃんにとりかこまれるの巻。



私達の旅のルールなんですけど、行程を決めたり宿やチケットを手配するのは基本ハラダさんの役割(本人がするのが好き)

そのかわり、私は言い値を払う。文句は一切つけない。(出発直前までどこに行くのか知らないことも多々)

そして、現地でトラブルが起こったときは、私が下手くそな英語で交渉する。

なので、ここでもハラダさんにスッと無言で電話を渡されました。はい、宿に電話して交渉開始です。ま、またか~(ヨロリ)

しかし、ネイティブでない同士の電話でのトラブルトークって、カオスになりますよね。たとえ相手が誰であろうと、ギザギザハートモードの関西人、基本どこでも負けないんですけど。

ワイ「おたくのミスなんだけど、我々どうすればよいの?」

宿「えーっと」

ワイ「おたくのミスでえらい迷惑してるねんけど」×10

宿「…………うちが立て替えるのでとにかくタクシー拾って来て」

ということで、砂の都サマルカンドではや砂まみれになりつつ、レギスタン広場へGO。「おたくのミスでえらい迷惑やねんけど」は英語で丸覚えしておくと便利です。





ウズベクは有名な建物で結婚式を挙げる人がとにかく多いらしくて、


行くところ行くところで花嫁さんを見たのですが、(という理由で、おめでとうーのウズベク語は思ったより多様するのでおぼえておくといいかも)



……前述のブハラ城ではさすがに見なかったな(笑)


【サマルカンドで我々の屍を越えていってほしいこと】

1)レストランは、トリップアドバイザーの評価が悪いところには行かない(くっ……)

トリップアドバイザーさまに逆らった結果、食べる結果になった概念のようなポタージュスープ。白いのはヨーグルトの概念かな-(遠い目)


同じく、概念の味だったラグマン(煮込みうどん)。(これが出てくるまで注文してから一時間半が経過。どんだけ煮込んどったんや……)



2)レギスタン広場で「1ドルで特別に塔の中を見せてあげるよ」っていってくる警官がいる。(あやしいからだめだよ~!!)

3)サマルカンドのナンはとってもおいしくておすすめだけど、基本砂にまみれていると思ってほしい。(しかたがない)。でもウズベクでいちばんおいしいよ。ふっくら。

4)女子は全員もれなく空気を吸うように求婚されるけど、もろもろの事情を察して逃げて。(あーーーあーーー)

5)ヤンデックスしか使っちゃだめだ(察して)。有名な公園や広場にいくと、白タクの元締めみたいな英語のできる人がいて、その人と話をつけても別の人の車につれていかれる。ものすごく歩かされることもあるので、ヤンデックスしか使っちゃダメだ……

基本遠くへ行く場合でない限り、10ドルを超えるタクシーは無視していい。あと、交渉はぜったい乗る前にすること。

6)パブロンは神(察し)

7)龍角散のど飴は神(察し)

8)基本、世界遺産や建物系は全部全部有料だよ(誤差みたいな値段なのでまったく気にならない)


私はブハラで一度一回休みをしたんですけど、その風邪がハラダさんにうつってハラダさんが一回休み。

で、ここの間あったことをいろいろ酒の席ではいいたいんですけど、さすがに表には書けない。みんな気をつけて。


ハラダさんがやや復活したので、次の日は楽しく観光いたしましたとも。



夜、時々プロジェクションマッピングショーが行われるレギスタン広場。

昼もきれいだけど、夕暮れも夜も素敵。



壁紙にしておくと金運のあがりそうな、ザ・ゴールドな天井と内装。圧巻。



サマルカンドといえば、ティムール朝第四代ウルグ・ベクが都とした都市。

もともとサマルカンドの総督だったウルグ・ベクは、わざわざ父王の遺体をサマルカンドに移して、正当な王統を証明したといわれています。

天文オタクで、音楽が好きで、神学校を建て、教育の守護者であった、ということでオタクとしては親近感しか沸かないのですが、イスラムの王朝ってぜったい最後は兄弟親子で殺し合うんですよねー。

ウルグ・ベクも親戚連中と殺し合ったあと王になり、最終的には息子に殺される運命でした。

仕方が無い。跡目争いが揉めるのはいまに始まったことではない。徳川家康ですら弱冠失敗している……



まあ、そんなこんなで、サマルカンドの見所と言えば、このレギスタン広場とかとかなんですが、レギスタン広場にあるのは三つともマドラサ(神学校)



これはティムールさんの墓。突然聖職者の方がコーランを唱えてくださって、すごく雰囲気ありました。



昔は全部青いタイルで覆われていたんだろうと思われます。


ところで、夜、レギスタン広場からホテルに帰ろうとしていたとき、めちゃくちゃ墓石にすわってかっこつけて、明らかにプロのカメラマンさんたちに撮影されているイケメンの兄ちゃんがいたんですが、あれはいいんだろうか。

見合い写真なんだろうか。

墓石に座って??

?????




こっちはティムールさん一族の墓とか、あとはイスラム教の伝道者の墓です。(シャーヒ・ズィンダ廟群)


いまにも魔法が生まれそうでかっこいい(オタクの主観)!!!!



墓と言えば、ウズベクではいま墓石に亡くなった方の顔をプリントするのがメジャーなんだそうで、

すごい!!わかりやすい!!


わかりやすい!!!



そして、よく見るとだめなやつ!!


アカン花!!墓場に咲きまくり!!


その後、なかなかの独裁者だった前大統領の墓を素通りした我々は、バザールへ。

その名もシャブ・バザール!!!!!!!!(ショブ・バザールともいいますが)

これはダメな花!!(シャブではない)



バザールはサマルカンド市民の台所なので、あらゆるところにナーンやナーン的なものや、解体した羊や野菜が売られています。


ここの食堂で食べたラグマンが一番安くておいしかった!!昨日の概念ラグマンはいったいなんだったんだ????概念???


ナーンは巨大なので、二人がかりでもちょっと多いです。

なので、みんなジップロック大を持っていこうな。

現地で出会った日本人のおねえさんたちとごはんをしたりして。(みんなことれからタクシーでブハラに行くとか行ってて、グッドラックだった。すごい……虚弱なオタクにはとうてい無理)

その後は、ぶらぶらとショッピングなどなど。

七五三的なイベントで着るのであろうか。

そして、手前のなぞのウズベクじじい。(あらゆる店にめっちゃいる)



その後、新感線のチケットをとれなかった我々は、鈍行でタシケントへ向かうことになりました。

ちなみに、帰りのタクシーは、宿のオーナーの息子さんがタダで送ってくれました。

あと、サマルカンドの駅で頼んだカフェラテは、なかなかの…いや、いうまい。駅ナカに温かい食べ物は売ってないので、町中でなにか買って電車に乗ろう。

買おうか買うまいかめっちゃ迷った謎の魚のフライ。


命知らずのオタクがネタのためにチャレンジしたインスタントラーメン。辛い。すごく辛い。めちゃくちゃ辛いつらい辛い。


ハラダさんが予約した一等車とはなんとコンパートメント。これ、寝台列車の寝台になるらしくて、寝台列車でタシケントからサマルカンドへ行く人はもれなくここになります。

二度目のタシケントから、ヒヴァへ。


365日中300日は雨が降らないと言われているウズベキスタンでゲリラ豪雨にあった我々の運命はいかに。






次回『第二次世界大戦後、満州から日本人が連行されて強制労働させられた悲劇の象徴ナヴォイ劇場とかいうけど、三食昼寝付き週休三日でめちゃホワイトやんけだれも死んでへんぞ』編です。




続くと良いと思う。








いつもは本や映像や舞台にするための物語をつくっています。 ここでは、もう少し肩の力をぬいて、本などの形に仕上げることを考えず、気楽になにかを発表していきたいと思います。 ぶっちゃけサポートほんとうにほんとうにうれしいです。ありがとうございます。お返事しています。