母便 ――ははびんー

人間は年を取ると、なかなかアップデートできなくなるものらしい。とくに記憶がそのようで、姑さんから我が家に届く段ボールの中は、だいたいが「これ、どうしよう」と思うものであふれている。

たとえばかりんとう。家人はあまり好きではないのだが、おばあちゃん子だった家人は当時祖母につきあって良く食べていたらしい。

それを姑さんは側で見ていて「息子はかりんとうが好きだったから」と毎回買って送ってくれる。何度か家人のほうから好きではないことを伝えたらしいが、いつも届く。なので、そのかりんとうは毎回かりんとうが大好物なうちの母の元へ渡るというわけだ。

私はたまたま母が近くに住んでいるので母便は届かないが、きっと東京ででも暮らしていたら、私の嗜好物が間違ってアップデートされた、姑さんよりやや自分よがりな押しつけ好意で詰まっているうちの母便が届いただろう。

母便というものは、大事なのはモノではなくて、「届いたよ」というレスポンスなのだと思っている。特に母と息子は疎遠になりがちだから、母便という「きっかけ」によって、相手が大人になればなかなか伝えにくい「元気にしてるんでしょうけど、ちゃんと報告してよ。心配しています」というメッセージを薄情な息子に暗に伝えているのである。

小学生が居る家庭の夜はプリントの舞う戦場で、この報告もついつい忘れがちだ。昨日も焦れた姑さんから電話が速効かかってきた。家人はなんかめんどうくさげに対応している。

気持ちはわかる。母という生き物はたいてい話が長い(笑)。でも「もうちょっとちゃんと話してあげたらいいのに。お義母さんはきっと「こんなことがあった」みたいなどうでもいい日常の報告が欲しいだけだ」と思ってしまうのである。

なぜかというと、私もきっとうちの息子に十年後同じ事をしてしまうだろうから。家から出てなかなか連絡してなくなった息子とどうにかコンタクトをとりたくても、LINEやメールでスタンプが返ってくるだけ、という未来が、おおお……見えるようだ我が息子よ。

この生き物はほんの数年前まで私の腹にいて、私がいないと生きていけないわ、寝られないわ、泣くわ、小学校の入学式の日なんか一番最後まで教室に立てこもって体育館に行けなかったチキン野郎なのに、きっともうすぐ立派な恩知らずになって、自分の選んだモノと人に囲まれて自分の人生を生き始めるのである。

それが成長というものだから、親は黙って「わかった。がんばらなくてもいいけどたまにがんばれ。疲れたら帰っておいで。ただし金はやらん」とエールを送るのみである。わかっている。正しい親の姿というものは。だけど、わかっているけど寂しいのはどうしようもない。

母便には「親として正しくあろう」とする理性と、「叶うなら一瞬戻りたい、かわいかった子供の頃の記憶」と、なにかしてあげたいけど手元不如意だけどなにかしてあげたいという「親心」がいいかんじにバグった結果、たいていが混沌とした中身となって子供の元に届き、そして子供は困惑する。

なので、私はこの母便をうまく微修正することにした。まず味噌をいっしょに送ってもらった。お姑さんの自慢のご近所の味噌はほんとうにおいしくて、子供の頃から家人もなじんだ味だ。私は味噌汁にこだわりはないから、これを送ってもらうことによって双方に利益が生ずる。

そしてほかは果物である。たまたま家人がフルーツの国の人なので、with果物として母便が届くようになった。これで言葉足らずな家人も「おいしかったよ」というレスポンスが容易になる。なにより息子が大喜びである。

そして家人には、義実家に帰ったときに、送ってほしいものを自分で指定しろというミッションを言いわたした。たいてい「実家」というスペースには、なぜか謎の袋菓子であふれているから、その中からおいしかったものをいくつか選定しておくのである。これで母便の隙間に緩衝材がわりに使われる袋菓子をムダにしなくてすむ。

こうして十年以上かけて母便は微修正されていく。

ところが、何度パッチをあててもかりんとうははいっているのである!?!?!?!?

この情報をアップデートするのはやめた。きっと、お姑さんの中で一番幸福で綺麗な光景にうつりこんでいるのがこのかりんとうなのだ。

小さい息子と己の母が並んでかりんとうを食べながらテレビを見ているのを、ほっとしながら見ていた時が、お姑さんにはあったのだ。

だから、「ああーまたかりんとうが入ってる」「はいってるねー」と言いながらも、我が家では今大量のミカンを父と息子が食べ、息子がおばあちゃんにお礼をし(イベント前の息子の方がよほどスポンサーにマメである)そしてこのかりんとうは我が母のもとへいく。

私も連絡をしない娘だから「かりんとういる?」はいい具合に効いているのだろう。母から「いる」と返事がきた。

こうして母便の中身は経済のように流通し、きっと来月も届く(笑)。
十年後は、私も作る側になるんだろうなあ。

なので郵便局さんは、母便っていう段ボール作りませんか!?
段ボール箱、売れると思うんですけど!!

そんな朝です。


Madoka Takadono

いつもは本や映像や舞台にするための物語をつくっています。 ここでは、もう少し肩の力をぬいて、本などの形に仕上げることを考えず、気楽になにかを発表していきたいと思います。 ぶっちゃけサポートほんとうにほんとうにうれしいです。ありがとうございます。お返事しています。