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昔の感覚を取り戻した日〜すべては生命活動の一環〜

体力について、考えることがよくある。

多分それは、「自分は体力があるほう」と思っていないからだと思う。

ないものは、ほしいと思うのが人間。
足りないものは、満たしたいというのが本能なのかも知れない。

でも不思議なことに、体力はあると思えないのに、人からよく「エネルギーに溢れてるよね」と言われることがある。

これまで無自覚だったけれど、最近たしかにそうかも、って思うことが増えてきた。


そう考えると、体力は筋力だったりDNAレベルではかられるものだけではなく、エネルギーも重要な要素になっているかもしれないと思った。

今日は仕事早めに切り上げて、友人のバースデーパーティーで超久しぶりにダンスをした。

それが楽しすぎて、夢中すぎて、ぶっ飛びすぎてて、最高だった!

繰り返しになるが、私は自分が体力があるほうと思っていないので、普段の生活の中で(無意識に)「今、全力を出しすぎたら疲れて大変なことになるので体力を温存しておこう」と考えてしまうクセがある。

でも、ダンスに夢中になっている時は、体力がどうだとか、疲れたら明日が大変とかそういうことは一切考えていない自分に気づいた。

ただ、その瞬間に夢中になること。

今この瞬間にダイブして、無我の境地でフローに導かれること。

そんな昔の記憶を取り戻した瞬間だった。


踊っているときは、何もかも忘れられる。

とにかく楽しくて。夢中で。

やっぱり「楽しむ」は最強だと思う。
「楽しむ」は、すべての悩みの種を解放する重要な鍵があるはず。

先日、ある人から

「仕事も、プライベートも、境目がない。すべては生命活動の一環だから」

と言われて、すごい!!!と感動した。

すべてが生命活動の一環

この境地になれたら、きっとこわいものなしだ。
そしてそのベースにはきっと、「楽しい!」があって、それがエネルギーに変換されるのだ。

そして、このエネルギー効率は変換もとてもスムーズなのだと思う。


昔はよく踊っていた。
オールナイトでも疲れ知らずだった。
一晩中、夢中で踊り続け、踊り狂う日々を送っていた。

リズムに身を任せ、どこまでも、どこまでも遠くへ行ける気持ち。
あの感覚、あの高揚。あの至福。

すっかり忘れていたけれど、体は覚えていてくれた。
リズムは細胞レベルで、この体にたしかな痕跡を残してくれていたのだ。

あの、自分にとって大事な感覚を久しぶりに取り戻して、嬉しかった夜。

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