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ハーバード大学デザイン大学院(GSD)のアーバニズム教育

はじめに

ハーバード大学デザイン大学院(以下GSD)は1936年の設立以来、理論と実践の有機的結合を目指すアーバニズム教育を行ってきた。なかでも実践が占める比重は大きく、「デザイン」というレンズを通して実社会の問題を発見し、解決策を提示していく原体験を通じ、次世代のアーバ二ストを育てるというのがGSDのDNAとなっている。それ故、アカデミアにあって実社会との関わりが強く、これがGSDが常に新陳代謝する有機体である所以であろう。

夕暮れに染まるハーバード大学デザイン大学院Gund Hall

以下、GSDのアーバニズムの理論と実践についてそれぞれ具体例を交えつつ考えてみたい。

理論(セオリー)としてのアーバニズム

アーバニストの土台としての歴史、理論教育

GSDではまず始めに、アーバニズムの歴史と理論について学ぶ機会が準備されている。私が在籍した都市計画学科(Master in Urban Planning / 以下MUP)では1学期目に”History and Theory of Urban Interventions”の履修が義務付けられており、これは他の分野の学生にも開かれていた。

この授業は自身を批判的都市理論家と呼ぶNeil Brenner教授が受け持つもので、これまでの資本主義社会の拡大下における都市化の歴史、理論を振り返ることはもちろんのこと、アーバニズムを政治経済、社会、環境といったより幅広い文脈で捉え、既存の社会を俯瞰し、常に批判的に「問いを立てていく」実践力を鍛えることを主眼としている。

授業名に”Interventions”とあるが、「デザイン」を単なる形式的な介入、表面的な問題解決手段として使用することは、GSDでは批判的アプローチの対局にある受動的な行動とみなされる。

我々が建築、ランドスケープ、都市計画、アーバン・デザインといった分野で取り組む「デザイン」が政治的、経済的、社会的、人道的、環境的に意義のあることをしているのか否か。現代社会を複合的に考察する視座を与えることを通じ、これからの未来像を紡ぎ出すアーバニストの基礎、バランス感覚を育む入り口がGSD、少なくともMUPには用意されていた。

余談ではあるが、建築学科出身でもなく、金融業界出身の私がGSDへの入学を許されたのは、アーバニストは社会を幅広く、かつ複合的に捉えるべきであるというイデオロギーの表出に他ならないと考えている。世界に、そして多様性に門戸を開くGSDのアーバニズム教育は、アーバニズムを建築家やランドスケープ・アーキテクトといった職能の延長線上にあるものと捉える傾向が色濃い日本の教育とは一線を画しているのである。

実践(プラクティス)としてのアーバニズム

理論を実社会と接続し、実践を可能とするスタジオ・カルチャー

GSDのアーバニズム教育の強みは、理論と実践を接続し、アカデミアでの学びを社会に還元する機会を学生に提供している点にある。

この実践を主導するのが設計スタジオである。スタジオは、基本的には教授1人が約10-20名程度の学生を受け持ち、実社会の課題解決を目指すもので、その解決手法やデザイン・アプローチは生徒に委ねられている。特筆すべきは、各スタジオには実際のクライアントや協働パートナーが存在し、その属性が個人、企業、あるいはパブリックセクターと多様であり、かつプロジェクトのスケールもローカルからグローバルと多岐に渡る点にある。

例えば、私が履修したMUPの必修スタジオの一つは、ボストンのローガン国際空港が位置するEast Bostonという地域が抱える諸問題の解決に、ローカルのCommunity Development Corporation(地域開発組織、以下CDC)と共に取り組むというものであった。尚、教授から一方向的な課題の設定はされない。前述の通り、社会を複合的かつ批判的に捉え、自ら「問いを立てていく」実践が求められているのである。

スタジオでは、地域住民への実地アンケート、電話でのヒアリング、Twitter、InstagramやFacebook等のSNSを通じた意見の吸い上げ等のコミュニティ・エンゲージメントを通じ、CDCと協働しながら同地域が抱える問題を洗い出し、解決策を練り上げていった。

分析や調査の結果、East Bostonは公共交通網の整備が悪く車社会となっていること、騒音等の生活問題、そして地球温暖化による将来の水害リスクを抱えており、貧困層、移民層が多く居住していることが判明した。

これら諸問題、ジェントリフィケーションの緩和・解決に向け、私はモノレール導入による車社会からの脱却を目指すTOD(Transit Oriented Development:公共交通指向型開発)、そして前職の金融業界での経験を活かして官民連携の運営スキームをボストン市に提案した。

アカデミアに居ながらも、アーバニストの卵としてのプラクティスを積むことが可能であること。これは「実践」に重きを置くGSDのアーバニズム教育の真髄ではなかろうか。

新規性を生み出すインターディシプリナリー・アプローチとインクルーシブネス

GSDのアーバニズム教育、理論と実践の有機的結合を下支えするのがインターディシプリナリー・アプローチである。前述の通り、GSDは社会の問題を多様な観点から見つめ直し、その解決に取り組んでいくことに重きを置く。それ故、既存の学問領域の枠に問われない学際的、かつ分野横断型の教育・研究が為されている。

事実、アーバン・デザインという新たなデザイン領域はGSDで、建築、ランドスケープ・アーキテクチャー、そして都市計画が交わり合う中で生まれたものである。その後も、前学長Mohsen Mostafaviが提唱したエコロジカル・アーバニズム、昨今ではエクストリーム・アーバニズムや自律的アーバニズムといった概念が誕生するなど、新たな学問領域が追求され続けている。このインターディシプリナリーかつインクルーシブな教育・学習環境こそ、GSDが世界中から多様かつ優秀な教授や学生を引き付け、進化を止めることなく新陳代謝し続ける有機体として存する理由でもある。

MUPの必修授業の一つにPublic and Private Developmentというものがあった。これは、都市計画家かつ法律家でもあるJerold Kayden教授による授業で、官民双方の視点から都市開発を考えるものである。授業はケネディスクール、ロースクール、ビジネススクール、MITの学生等にも開かれており、多様なバックグラウンドの学生が履修する。

この授業の前半ではKayden教授からの座学、官民セクターからのゲストスピーカーによる講義等を受け、後半ではボストン市による土地の払い下げを題材としたクラス内コンペに取り組む。このコンペにあたり、クラスはパブリックチームとプライベートチームに分けられる。各チームは参加者のバックグラウンドを考慮した上で発表され、私が属したプライベートチームは建築、都市計画、アーバンデザイン、不動産開発、法律、公共政策の専門を持つ多様なメンバーで構成された。一つのクラス内で理論と実践が完結し、かつインターディシプリナリーな学びの機会が担保される授業計画となっており、まさにGSDイズムを体現している授業である。

修士課程2年次に履修したエストニアの首都タリン市に関するオプション・スタジオでは、私は建築プログラム在籍の学生とタッグを組んでアーバニズムに向き合う機会を得た。旧ソ連統治時代に整備された古い集合住宅が多く残るラスナマエ地区を対象とし、実現されることのなかった1912年のマスタープランの、21世紀のコンテクストにおける実現可能性についてデザイン、政策、経済合理性、社会性等の観点から精査し、タリン市に提案を行った。建築学科のパートナーとの協働、日夜対話を繰り返すプロセスが無ければ、包括的な提案は為しえなかっただろう。

GSDの学び舎Gund Hall:理論と実践の有機的結合を可能にするエンジン

Gund Hall内部 - スタジオを履修する学生にはデスクが与えられる

また、私はGund Hallというリアルかつインターディシプリナリーな「空間」こそが、GSDのアーバニズム教育、即ち理論と実践の有機的結合を可能にしているエンジンであると考えている。

GSDアーバニズム教育の実践を担うスタジオを履修する学生には、Gund Hall内にデスクが与えられる。このGund Hallという同じ「空間」で学生たちは、日夜設計課題と向き合い、学友と語り合い、喜怒哀楽を共有していく。同じ釜の飯を食うではないが、異なる分野の学生と共に学び合う経験、苦楽を集団として共有する原体験を通じて、学生たちはGSDのDNAであるインターディシプリナリー・アプローチ、理論と実践の結合を自らの身体で覚え、そして世界に巣立っていく。

多様かつ多義的な価値観を常に受容し、理論と実践を接続していくという学校のイデオロギー、そしてそれを加速させるリアルなプラットフォームとしてのGund Hallの存在。これらがGSDをして常に新陳代謝する有機的なアカデミアたらしめる要因であろう。

(参考)Master in Urban Planning (都市計画学科 / MUP) の教育カリキュラム、特徴

GSDのMUPは2年間のプロフェッショナル・ディグリーで、1900年に最初の授業が行われた北米で最も古い都市計画プログラムである。一学年約40名程度であり、建築やランドスケープ・アーキテクチャー学科に比べて比較的小規模のプログラムとなっている。学生の9割がアメリカ国籍であり、他のプログラムに比べて留学生の比率が低いこともMUPの特徴である。

尚、GSDで英語でのコミュニケーション能力が一番求めらるプログラムとなっており、過年度を振り返っても日本人留学生は少ない状況にある。一方でデザインのバックグラウンドが求められないプログラムであり、ポートフォリオの提出も義務付けられてはいない。

また、MUPのカリキュラムの特徴の一つとしてGISスキルを学ぶ必修授業があることが挙げられる。GSDはデジタルコンテンツの取得教育に力を入れていることで知られるが、GISの専門スキルを必修で教えている学科はMUPのみとなっている。

尚、一時期ケネディスクールに移管されていたという歴史もあり、MUPはGSDのプログラムの中で最もケネディスクールとの授業の乗り入れが多く、相互補完の関係にある。都市の問題を政治経済、社会、人道、環境といった様々な視点から複合的に捉える必要性があることから、前述のケネディスクール、法科大学院、公衆衛生大学院といったハーバードの他のプロフェッショナル・スクールとのジョイント・ディグリー・プログラムが設置されている。近年ではMUP在籍学生のうち1-2割程度がジョイント・ディグリーを選択する傾向にあり、内訳としてはケネディスクールが圧倒的に多い。加えて、MITとの単位互換制度もあり、生徒自身が自らの興味分野、必要に応じて2年間の学びを設計できるよう工夫されている。

*この記事は早稲田大学まちづくりシンポジウム2019の資料集への寄稿「ハーバード大学デザイン大学院 (GSD)におけるアーバニズム教育 - 理論と実践の有機的結合を支えるインターディシプリナリー・アプローチ-」を加筆修正したものである。

提供元:https://takafumi-inoue.com/harvard-gsd-urbanism-education/


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