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コーヒーは毎日の必需品

先日友人からたくさんのコーヒー豆が送られてきました

5kgぐらいあるという

コーヒー豆

毎朝飲むものなので

いくらあってもいいんです

BRUTUS Casaのコーヒー特集

教科書(BRUTUS Casa)と照らし合わせながら

もちろん行ったことのないお店の豆ばかりなので

先ずは「行った気分」になる

現在確認できたのが

WEEKENDERS COFFEE

ONIBUS COFFEE

お豆のお店を確認できた

京都はいいお豆が集まるという話を聞いたことがあった

烏丸通を歩きながら

まだまだ知らないコーヒーの世界ですが

改めて思った?というか

感覚が変わったことが...

《ブレンドが飲めない》

というか

“複雑な”が読み取れない感覚が芽生え

単品が飲みたい

ここ一年、馬鹿の一つ覚えで

『ブラジルフルッタメルカダオをライトロースト』

これ一択でして

ここに足す?感覚がなく

以前よく飲んでたブレンドを飲んだとき

「なんだこりゃ!?複雑!!」

となったわけで

間に合わせで買った100g

一杯分だけ飲み、そーっと仕舞いました

もちろん焙煎でお店お店の個性はあるのかもしれませんが

その先に主張を感じるというか

もうここまで来ると“クセ”に感じて

ローストに関しては一切わからないんで

ただ“個性”は“クセ”になり

感じ方はときに違和感になるのか?と

味覚の感覚は変わるのだと

それは流行り廃りとは関係なく

ここ最近飲んでるコーヒーにクセはなく

豆本来の味わいというのを

知った気さえしていて

ヨカタでもわかるぐらいに

とくに思うのは

《美味しいコーヒーは冷めても美味しい》

これ、ホントそう!!と思った

コーヒーの最近の名言をいただきました

冷めてしまった!というときに飲むと

大体が「あれ?」って感覚に

さっき飲んでたものと別物に

苦味とかエグ味とか

そういうんじゃなくて

あったかいうちに飲んだものと

全く違うことがあり

そこが違和感になる

仕舞いには違和感しか残らず

ウェッてなる

安定感をより一層求めるというか

平和がいい

毎日のルーティンだから

崩したくないので

100点は難しいけど

90点を妥協しての50点はあり得ないお話で

90点を80点ぐらいならと思う

それでも100点からはマイナス20点なわけで

全てに言えることなのかな?

妥協することは大事なときもある

でも100点からマイナス50点をヨシとすると

いつしか50点が100点基準になり

どんどん妥協点は下り

相当低いところでヨシとなっていく

そんなときに気付けないんだろうけど

良いものはいい

悪いものは悪い

の善し悪しの感覚は常に備えておきたい

こういうお仕事をしていると

妥協してはならない

100の仕事をして、120を残してくる

鈴木みのる選手の言ったことを思う

100点の基準は

観ている側として「また観たい」と思わせること

120点はどこでだろうと行きたい時で

120点が基準の100点になるから

無限に基準の100点は上がり続けて

脳内アドレナリン出まくりのあたおかになる

ハイになった状態が幸福感

世の中が楽しくなる

という僕の脳内バグ

の反面、安定感を求める

というバグな毎日なので

毎朝のスタートである「毎朝ルーティン」は

必須事項で

365日

今日の始まりは大事なこと

乱されると

あーあーあーに

いいか悪いかなんてわからんけど

『今日も元気だ』

の確認はできる

だからひとつでも欠けることは許されず

今日もコーヒーを飲み

美味しいコーヒーだ!と思える

そんな朝

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