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2011年のはなし。

ふかわりょうさんの昨日のツイートで

というのがあって、たしかに共感した、すごくした。
毎年この時期になると、きまって震災の時何してた?という話が出る。
私は当時スタジオに勤務したばかりで、建物の入り口に一番近い場所で受付業務をしていた。正面に消防署があり、並んだ消防車を背景に、道路沿いに立つ電柱と電線がグワングワン揺れている風景が今でもクリアに思いだせる。そしてその後すぐ、各スタジオからみなが飛び出してきた。
ヘアメイク中の外国人モデルがパニックになっていたのも覚えている。
そこから数ヶ月は彼らのようなモデルが日本からたくさん出て行ったし、
ガソリンが盗まれるかもしれないからという理由で、給油口が開けられないようにスタジオの業務車を壁ギリギリに駐車したりしていた。

この経験だけでももう一生忘れないだろうなとは思うのだけど、この年が私にとっての忘れられない理由はこれだけではなくて。

要は父が死にました。

震災とは関係なく。
そしてその年には伯父も祖父も。
更にはいとこが飼っていた猫も、、、まあ祖父と猫は大往生だったので来たるべき出来事ではあったけれど、父のそれは急すぎて私はだいぶ動揺した。
私という人間の半分以上は父の影響でできている(と思っている)ので、ファザコンのつもりはなかったけど、もしかしたらそうなのかもしれない、と思わされることになった。

人と過去の出来事を話すとき、例えば学校を卒業したのは2000年だとか、あそこに旅行に行ったのは平成16年だった、とかそういう覚え方はしていなかったけど、そんなこんなの2011年を迎えてからは、ことあるごとに基準となる年になってしまった。

職場が変わったことで友人知人は山ほどできた。
実家では大切な食器がたくさん割れた。
大切な人を亡くした。

たとえ忘れようとしても、もう二度と忘れられない年なのです。


トップの写真は2011年の父。

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