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「都市に野を生む」 - Noumがホテルで表現する野原

こんにちは。Backpackers' Japanの石崎です。

先日7月28日(日)、大阪天満橋でHotel Noum OSAKA(ホテルノウム大阪)がオープンを迎えました。

この記事では、これまでゲストハウスやホステルを運営してきたBackpackers' Japanが、子会社「株式会社Noum」を設立し、「Hotel Noum」を開業するまでのあらましをお伝えしたいと思います。


 「株式会社Backpackers’ Japan」と「株式会社Noum」

まずはじめに、「株式会社Backpackers’ Japan」と、「株式会社Noum」および「Hotel Noum OSAKA」の関係を説明します。

株式会社Backpackers’ Japanは2010年に創業した会社です。いまこの記事を書いている僕も含めて、創業メンバーは当時全員24歳。起業するにはまだ若いと言える年齢でしたが、さまざまな要因が重なり会社をつくりました。実際に事業を始めるより少し前の話です。

会社設立後、ゲストハウスtoco.(東京・入谷 2010年)、Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE(東京・蔵前 2012年)、Len 京都河原町(京都・河原町 2015年)、CITAN(東京・東日本橋 2017年)とだいたい2年に1店舗ぐらいのペースで宿をオープンします。

そのころは、ビル一棟をまるごとリノベーションし、カフェやバーを併設して営業するスタイルの宿が少なく(バーをつくるようになった経緯はこちらに詳しく書いてあります)、積極的に店舗展開を目指すゲストハウスも多くはありませんでした。

年齢的な若さも注目される要素となってか、「ゲストハウスブームの草分け的存在」といった切り口でもてはやされることもありましたが、自分たちの感覚からすると、むしろかなり地道に、愚直にやってきた意識の方が強くあります。


創業から10年経った現在は事業規模としても特別大きいわけではありませんし、ビジネスの才覚で広げてきたというよりも、好きな場所で、好きな人たちとじっくりやってきた10年間だったと言えると思います。そしてそのぶん、事業と社会の相関について、自分たちなりの理解をじっくりと育てることができました。


そんなBackpackers' Japanの創業メンバーであり、2018年までの8年間COOを務めてきたのが、株式会社Noumの代表取締役に就いた宮嶌智子(みやじまともこ)です。

Backpackers' Japanでの宮嶌の仕事は、会社のビジョンを実際の業務や制度に落とし込むこと。より具体的に言うと、新規店のオペレーション設計や、既存店のクオリティーチェック、運営統括、そのほか改装工事や開業準備のプロジェクトマネジメントなど。これまで多岐に渡る仕事を行ってきました。

また、海外旅行をする際にはアラスカやカナダ、オーストラリアやニュージーランドなどの自然の多い土地を選び、世界のさまざまなホテルに宿泊して得たアイデアを積極的に各店舗に反映させています。

つまり、これまでのBackpackers' Japanにおいて、宿泊業そのものについていちばん思考を巡らせてきた人間が宮嶌であり、その宮嶌が手がけるホテルプロジェクトが「Hotel Noum」です。


どうしてやることになったか

事の始まりは2年前、2017年7月。

この月は会社として第8期の期末にあたり、役員会議のなかで来期の動きについて話す機会がありました。このときの僕たちの間には、「本部主導で新たな利益を生み出し、会社全体の財務状況をより堅固にしよう」というムードが存在していました。新しいアイデアを歓迎する時期だったのです。

その流れとはまた別に、当時の社員の中に、今後の全店舗の運営を一任させたいと思える人物がいたため、彼を役員兼COOへと押し上げるような動きがありました。

この件に関しては宮嶌を含めた当時の役員全員が納得した上での判断でしたが、彼がCOOになるのであれば、宮嶌の社内での役割はなくなってしまいます。


そこで宮嶌がやれること、やれそうなことを全員で提案し合いました。その中から会社としても経済的にやる意味があり、かつ宮嶌自身の興味にも紐づくものとして選び取ったチャレンジが「新ホテルブランドの企画」です。

このときの選択について、宮嶌本人が以下のように振り返っています。

「溢れ出るような大きな『やりたい』よりも、会社からもらった機会と、いまの時代を見渡した上で、強く『やるべき』だと思った。

私にできるのは属人性の高い小さな宿でもないし、アッパークラスの大規模ホテルでもない。でも、その『真ん中』が今はとても少ないと思う。自分が泊まりたいと思えるホテルを思い描くことができて、それを必要としている人たちが間違いなくいる。そういう気持ちで決めたし、やっている」


全員で出し合った提案の中には、「社員食堂をつくる」や「地方で長く続ける宿をつくる」といったものもありましたが、「私の30代を使ってやる意義を考えたとき、しっかり規模があるものでなければ意味がないと思う」という宮嶌の意志のもと、都市部での店舗展開を目指すことが同時に決まりました。


「ホテル」をつくる理由と子会社化

ゲストハウスやホステルを展開させていく選択もあったなかでの、ホテル計画の決定。理屈に基づいた判断でもありますが、それよりも「自分にはいま何がつくれるのか」を宮嶌が自分自身に問うた結果によるところが大きいと言えるでしょう。


いま振り返ってみれば、24歳で起業したときの僕たちがゲストハウスやホステルをつくろうと思ったのは、ごく自然な流れでした。

ゲストハウスやホステルを利用する層は20代が中心です。

できるだけ安く、いろんなところを旅行したい。人恋しいときもあるし、ときには誰かと会って話をしたい。旅先で現地の人から聞く、リアルな情報がなにより面白い。多くのバックパッカーたちが持つそういった気持ちは、自分たちの中にも存在しており、だからこそ自分たちなりのホステルをつくることができました。

そこから年齢を重ねるにつれ、実際に自分たちが宿を予約する際も、(どんなにドミトリーに泊まり慣れていても)部屋選択の嗜好はドミトリーから個室へと変化していっています。

以前、宿泊先の選択がホステルからホテルへとが変化した要因について「『どんな空間を良いとするか』が変わった?」と宮嶌に聞くと、「というより『自分らしさ』を見つける場所が変わったんだと思う」と少し意外な答えが返ってきました。


「ホステルの中でいろんな人と知り合いながら、たまにはお酒を飲んだりしながら、その関係性の中にいる自分を知るのが楽しかったのが、いまは落ち着く部屋で本を読んだり、書き物をしたりする自分と付き合っていくのが心地いい。だからその空間をつくることに情熱を傾けたいんだよね。きっと、いまはそれしかできないと思う」

事業を起こすときに必要なのは、どれだけそこに情熱を傾けられるかだと思います。というより、僕たちはそのやり方以外がわかりません。

なので、「いま自分がいいと思っているものをつくる」というのはある意味で最大のリスクヘッジであるとも言えます。


どんなに機会に恵まれていても、もし上辺で取り掛かったら、いつかその事業は終わってしまう。始めたものが終わることは悪いことではないけれど、宮嶌は自分の30代をかけて続けていかねばらない。

そうした意識の中、自分と社会の接点を探した結果が、あるいはこれから更にその接点を大きくしていきたいと思えたのが、ホテルづくりでした。

プロジェクトを進めるにあたっては、Backpackers' Japanの一部署として進めるか、新たに子会社をつくるかを決定する必要がありました。

子会社にする場合、売り上げや利益の面で親会社が得る即時的なメリットはほぼありませんが、子会社はBackpackers' Japanに縛られない自由な動きができ、それによる相乗作用が経営企画の面からもオペレーションの面からも見込めます。

Backpackers' Japan側は終始「宮嶌の判断に任せる」の姿勢を変えなかったため、最終的に「自分で責任を負うぶん、誰の影響も受けず好きにやれる方が望ましい」と宮嶌が判断し、子会社をつくることになりました。


Noum=「都市に野を生む」

7月の役員会議から5ヶ月後の11月。

この月の頭、宮嶌はアメリカの西海岸で泊まったホテルに大きなインスピレーションを受けた状態で帰国。その直後に、以前より親交のあった東京建物不動産販売株式会社の方から、大阪の物件を紹介されます。

早速見に行ってみると、建物の規模がちょうどよい上に、目の前には公園と川が広がる気持ちのいい立地。ホテル計画について本格的にアクセルを踏もうとした、ぴったりのタイミングでの巡り合わせでした。ほぼ即断で、契約の話を進めていきます。

とはいえ、東京建物不動産販売さんと実際に仕事を共にするのは今回が初めてです。新たに子会社を立ち上げることになり、売上も実績もない状態にも関わらず契約に至ることができたのは、これまでに培ったお互いへの信頼と、担当の方の熱意によるものでした。

その頃、宮嶌がBackpackers' Japanの役員会でプレゼンした最初の企画書タイトルは「Little Hotel Lera」。「Lera」はアイヌ語で「風」の意味です。「Noum」にもこの「風」の要素はあり、その意味でつくりたいもののイメージは初めから変わっていないと言えます。

この段階での企画書にはまだコンセプトらしきものはなく、「なぜホテルをつくるのか」という動機が大部分を占めていました。企画書としての側面よりも、宮嶌の思考を整理する役割の方が大きかったためでしょう。

しかしそれゆえ、なにがしたいホテルなのかが見えて来ず、「Lera」の企画はそのまま尻すぼみになります。


その後、宮嶌がどんなホテルにしたいのかの考えを掘り下げ、仕事仲間や、周囲の友人知人に相談を持ちかける日々が続きます。

そうして浮かび上がってきたキーワードは以下のようなものでした。


“「自然」「植物」「快適さ」「シンプルかつカラフル」「風の通る窓」「自然の光」「素材の味」「商業的ではないもの」「旅」「川の流れ」”


しかし、イメージは膨らんではいくものの、なかなか一本通った芯が見つからない。そんな時に偶然生まれた言葉が「Noum」です。

Noumはそもそも「規律・規範」の意味を持つ「Norm」の響きを気に入ったところから、「野」「生む」の言葉を取り出して造り変えたもの。

「野を生む」のレトリックを発想できたことも大事ですが、それよりも、「野原」であればこれまでに挙げたキーワードをすべて内包することができると気付けたことが重要でした。


ホテルは他のお店と比べ、長い時間を過ごす場所です。そこで過ごす時間そのものが商品であると言ってもいいかもしれません。だからこそ提供できる価値がある。

そのため、空間と過ごす時間が自然と結びつくような言葉(=野原)をホテルのモチーフとして掲げることができたのは、企画を進めるにあたっての大きな転換点となりました。

「野原」は、誰もが気軽に訪れることができ、くつろぎや癒しを身体的に感じることができる場所。それに加え、普段の生活から少し離れ、気持ちの面でも自由になれるようなホテルにしたい。

Noumが掲げるミッション「都市に野を生む」はそんな思いでつくられていきます。



自然の近さと朝の風景

それから一年以上をかけて企画、設計、施工を進め、先日オープンしたのが「Hotel Noum OSAKA」です。

Hotel Noum OSAKAの特徴は建物前面の部屋に設けられた大きな窓。そして、とりわけ朝のシーンに重点を置いたホテルであるという点です。

今回リノベーションをするにあたり、すべての部屋のうち、建物正面側にあたる部屋はすべて窓開口部を広げ、さらに一部の部屋については足元から天井までを大きな窓にしています。大規模な投資となりましたが、部屋の広さを変えずにビジネスホテルのような窮屈な状態を解消するためには必要な工事でした。

そうして完成した部屋はまさに思い描いていたもの。窓の先には緑豊かな公園と大川(旧淀川)が広がり、部屋にいながら自然の近さを味わうことができます。

「朝」にフォーカスを当てたホテルにしたいという考えに至ったのも、この立地の影響を十分に受けています。

朝にフォーカスを当てるとはどういうことか。

例えばNoumのモーニングはビュッフェではなく、ひとつひとつ注文を受けて調理し、ワンプレートで提供する形式にしました。大きな窓からは自然光が気持ちよく差し込み、コーヒーのいい香りがラウンジを包み込みます。

朝7時からオープンするカフェでは、コーヒーの他にサンドイッチやドーナツをテイクアウトすることが可能。朝の短い時間でも、心が弾むようなメニューが提案できれば、訪れる人はきっと喜んでくれるでしょう。

こういったシーンの設計は、計画当初からあった「気持ちのいい朝を迎えられるホテルにしたい」という思いに、ブランドを描くなかで加えられたテーマ「いい一日が始まる予感」を掛け合わせることで明確になっていきました。


しかし、「気持ちのいい朝」も、「いい一日が始まる予感」もただ朝の場面に力を入れるだけでは生まれません。

ホテルに着いたときの空間の印象。応対するスタッフの話し方。部屋の居心地。安心して眠れるベッド……それらすべてが、翌日の朝をどう迎えるかに関わってきます。

着いてから過ごすあらゆる時間が、朝の風景へとつながっていく。

朝のシーンに重点を置こうと決めたのは、Noumのすべての時間を心地よく結び合わせたいという思いの表れと言えます。

✏︎ Noumの朝食:ボリュームたっぷりのフルブレックファーストからフルーツたっぷりのグラノーラまで、 その日の気分や体調に合わせて全 7 種類のこだわりのメニューから選ぶことができる。

✏︎ Noumの部屋:リバービュー以外の部屋も基本のデザインは同じ。自然素材や落ち着いた色を使い、リラックスして過ごせる部屋に。テレビなどの電化製品をできるだけ置かず、ニュートラルな気持ちで安らげるようにしたいという意図がある。


今後の展望

Noumの計画当初に設定した店舗展開目標は、2025年までに国内で10店舗。地方都市への出店も計画していますが、その足掛かりとしても、次は東京での出店を模索しています。

先日、大阪の開業を目前に控えた宮嶌と話をした際、店舗展開の話に付け加えてこんなふうに語っていました。


「展開と同時に、もっと『Noum』を深く掘り、表現できるようになっていきたい。『野原とは何か』『いい1日が始まる予感』とはなにか、そのためのベッドは、テーブルの大きさは、椅子の形は、窓の開き方はどんなものがいいのかを考え続けたい。

世界観を表現するには知識と経験が必要。デザイナーや建築士の力を借りることももちろんあるけど、私は代表でありながら、Noumの一番身近にいるユーザーとしての目を肥やしていかなきゃいけないと思う


Noumについて考え続けるというのは経営者として当然の回答とも言えるかもしません。けれどここに表れるひたむきさは、なにものにも奪い取られることなく、これから築く信頼の大きな礎になってゆくのだと思います。

「野原」は誰もがイメージできるもの。けれどある意味でイメージの中にしかない場所であると僕は思います。

イメージの中にしかない場所をホテルで体現していくのは、おそらく非常にやりがいのある仕事になることでしょう。それこそ、残りの30代すべてを使って頭を悩ませてもいいぐらいに。


株式会社Noumのミッション、「都市に野を生む」。ここで言う都市は、特定の大都市というより、人々が働き生活をする、広い意味での町を指しています。

多くの人が暮らす町の中で、自然と肩の力が抜けるようなひとときを、思わず深呼吸したくなる心地よさを、本来の自分を少し取り戻すような滞在を、Noumが表現し続けていってくれることを心から楽しみにしています。

文 :石崎嵩人(Backpackers' Japan)
写真:Hyo Yikin
Hotel Noum OSAKA

住所:大阪府大阪市北区天満4-1-18
用途:ホテル・飲食店
客室:50室

事業主:東京建物不動産販売株式会社
運営者:株式会社Noum
設計・監理:株式会社スピーク ※1F内装除く
施工:大末建設株式会社 ※1F内装除く
デザイン施工(1F内装):渡部屋 + 株式会社GHL

客室ドアハンドル,ベッド,サイン他:ALLOY(山崎勇人)
サイン(ロゴマーク・室名書体他):TE KIOSK(村手景子)
家具:LIFE WORKS , LAND(1Fベンチソファ)
植栽:金子紀之
音響:HIRANYA ACCESS


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