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CITANオープンから半年、会社創業から7年経って思うこと


東日本橋・馬喰町エリアでCITAN(シタン)という店を開業してから半年が経った。

自分たちの会社をつくり、ゲストハウスtoco.をオープンさせたのが2010年だから、2年に1店舗ぐらいのペースで計4軒の宿を立ち上げたことになる。これまでの経緯を簡単にまとめておこうと思う。


2008年...代表本間(当時23歳)が内定の決まっていた会社を断り起業を決意。本間が友人数人に声を掛け、そのうち桐村と宮嶌と石崎の3人が勤めていた会社を辞め、企画に合流。

2009年...「旅の価値を伝える」を軸を元に事業内容を考え始める。4月から資金調達を目的とした割りのいい仕事先で働くはずだったが、直前で断られる。桐村父からの提案で、東京で白いたい焼き店の店長業務をすることに。12月までにFC店を4店舗開店。 

2010年...2月、貯まった資金を元手に会社を設立する。軸として定めていた「旅の価値を伝える」が「日本にバックパッカー宿をつくる」の事業構想に昇華される。6月、4店舗あったたい焼き店を閉店させ、東京入谷で見つけた築90年の古民家で改装工事をスタート。10月にゲストハウスtoco.としてオープンさせる。

2011年...東日本大震災。宿の営業が軌道に乗ってきたところだったが、海外からの宿泊客はほぼ100%キャンセルとなり、稼働率は2〜3割まで減少。福島出身の本間から、「一切の仕事を降り、しばらくボランティア活動に行かせてほしい」と申し出があり、三人でtoco.を運営するようになる。8月に本間がボランティアから戻り、二号店出店の提案がされる。蔵前の元倉庫ビルが見つかるが、事業規模が大きくなりすぎることなどを理由に賛成反対で意見が分かれる。

2012年...6月に資金未調達の状態で蔵前の元倉庫ビルを改装開始。toco.改装工事の棟梁、渡部さんが全国から集めた大工さんや職人さんの他、インテリアデザイナーとして活動していた友人東野さんに依頼をし改装を進める。友人の山田(現東野)、清水が社員として入社。9月「Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE」開業。資本金を1000万円に増資。

2013年...従業員数がアルバイトを含め30人を越える。

2014年...三店舗目の出店を考えるも東京で良い物件に出会えず困っていたところ、京都で良い物件を紹介される。10月、京都河原町にある元倉庫兼店舗ビルの改装を開始。

2015年...3月、Len京都河原町を開業。従業員数が60人を越える。部署として総務を作り、社内制度を整え始める。

2016年...CSOとして本間の友人だった岡を迎え入れる。9月、東日本橋の地下付きオフィスビルを紹介される。地下の魅力に引かれつつも決めかねていると、ビルオーナーから「では一階の床を抜いて吹き抜けをつくりましょう」と提案。これが決め手になり4店舗目として工事を開始。

2017年...3月、CITANを開業。音響設備とDJブッキングにも力を入れ、これまでライブでしか実現できなかった「音楽によって空間の魅力を高めていく」方法を模索。現在役員社員18名、従業員数が100名を越える。


時系列で端的に表すとだいたいこんな感じ。

震災のあたりの話とか、Nui.を作った後の会社の変化とか、簡単にまとめることのできない話もたくさんあるけれど。


最近になって、会社全体に関わる取材を受けるようになった。逆に言うと今までは、(店舗の取材に関しては積極的に受けていたものの)会社そのものに関する取材や、本間個人のインタビューはできるだけお断りをしてきた。

理由は「自分たちの考えを外に向けて偉そうに発信する必要は無い」と思っていたからである。宿が、店が、そこで働く人がいいよね、ということさえ訪れる人に伝わっていればいい。それに、言葉にするとどうしても実際の考えとずれてしまう気もして、あえてその道を選んでこなかった。


取材を受けると必ず当てはめられる「若くして/芯があって/オシャレで/ゲストハウス界を牽引していて」といったような切り口にも違和感があった。

僕たちは実際には、その場その場でしか物事を考えられず、人臭く泥臭く、しかしほんとうに、ただそれがいいと思うことを、周りの人に助けられて、やってきただけなのだ。

そして、その「周りの人」の中にはゲストハウス業界を本当に牽引してきた先輩たちがたくさんいる。そんな先輩たちを差し置いて、事業を始めたばかりの自分たちが話せることなど一つもないように思っていた。


ただ、それでももちろん、自分たちの中で「これ」と決めた思想や美学や方針や計画に基づいて会社を経営している。7年会社を続ける中で醸成されているとも思う。

取材を受けるようになったのは、「自分たちはまだ何も外に出して言えるほどのことはしていません」というのは、それはそれで独りよがりなのではないかと、最近思うようになったからである。

それが正しいか正しくないかは分からなくても、信念で以って目の前のことに立ち向かっているつもりはある。だとすれば、うまく表現することができるできないに関わらず、いま話せる言葉が正しい言葉なのだと思う。


発信することに後ろ向きでいることは、自分たち自身にも失礼だ。

とにかく、最近は外に向けて話せることが少し増えてきたように感じている。


CITANの話をする。


CITANは僕たちにとって挑戦であった。というか、現在も挑戦であり続けている。企画をし始める段階から、今までにつくった店舗をコピーしようとはまったく思っていなかった。

CITANに限らず、店舗名を揃え、内装を同じくして、空き物件が見つかりさえすれば展開するような選択を僕たちはずっとしてこなかった。セオリーとは外れてるかもしれないけど、それが自分たちの直感に従った回答だった。


つまりは一軒一軒を独立開業するようなものである。名前に付随する知名度も、ほとんど一からやり直し。お客さんが来なかったらどうしようという不安もある。毎回その不安と隣合わせで、店をつくる。

本間は建築や材料の本を買い込み、部屋にこもって考え込む。宿のマネージャーが壁の色を考え、ベッドのデザインについて話し合う。飲食のマネージャーやチーフが集まり、どんなメニューをどれぐらい出すかを提案する。決められるものはぜんぶ、ひとつひとつ自分たちで決めている。


店を開くということはただお店をオープンさせることではない。ある種自分の持つ価値観を世に問うことである。「わたしはこれがいいと思っているんだけれど」ということを社会に向かって表出する。それが世の中に受け入れられれば続くし、受け入れられなければ続かない。

今回は、他のどのホステルで前例がなくても、「宿のラウンジでそんなことをする必要がない」と言われても、CITANでは絶対に、音響にこだわりたかった。


地下があるという特性ももちろんあるけど、本間はもうずっと前から、場所やその時々に合った音楽が、空間やそしてそこにいる人の気持ちを「少しだけ引き上げる」ということを話していた。

クラブのように限定された空間ではなく、ライブという特殊な状況でもなく、もっと、日常と地続きの場所で音楽を実現したい。それに取り組めるタイミングがCITANだった。


CITANの挑戦は音楽だけではない。

ワインを揃えたいしお酒も満遍なく揃えたい。内装はデザイナーさんに頼らず大工さんと自分たちでやろう。地下だけど吹き抜けをつくって明るくしたい。ご飯にだってこだわりたい。

自分たちが今できることは何か、したいことは何か、それを考えた工事期間だった。


「君らの世代には『様式』がない。そもそも疑ってるでしょう。それを大事にしなさいよ」

ブックス+コトバノイエの加藤さんが、CITANの工事が始まって間もなく、そんな僕らの挑戦を見て掛けてくれた言葉である。言われた時はそうなのかな、という感じだったけど、言われてからだんだんとその言葉が腑に落ちてくる。


僕たちには「こんな人たちになりたい」「こんなお店をつくりたい」と追っている背中が、たぶんほとんどない。驕りではなく、自分たちの姿勢にぴったり合うものは当然他の誰も持ってるわけがないよね、ということをもう知ってしまっているのである。

もしかしたら加藤さんが言うように、世代に共通している感覚なのかもしれない。誰かがコミュニティという言葉で表現した空気感や、誰かが価値多元社会と表現した時代を、「そうなの?」とあまり納得せずに受け止めて歩んできた。


だから、お店をつくるときには自分たちのなかに問いかけるしかない。どんなものがよくて、どんなものが好きなのか。バーマネージャーの古里がCITANの特徴を書き出すときに「自分たちが格好いいと思うものを知っている」と書いて、これはなかなかいいなと思った。社会に答えを求めていたら出て来えない回答である。

そうやって、CITANはこれからもっと、自分たちと来る人たちにとってのいい形を探していくはずである。オープンしてからが店づくり。「始端」の名前に込めたように、そのようにして見つけたものが、自分たちの新しい基盤になる。新しいことを選び取り、いま既にあるものも有機的に変化していく形が望ましい。


はじめに書いたように、会社を作ってから7年が経った。

「Backpackers' Japanのお店の、一番の特長はなんですか?」と聞かれたら「やっぱりスタッフじゃないでしょうか」と、おそらく答える。本間が聞かれても、僕が聞かれても。これは7年分の回答である。


創業当時、最初の経緯の表に書いた「旅の価値を伝える」の他に、実はもう一つ「日本を元気にする」というものが存在した。あのときの「日本を元気にする」の思いがいまの会社のどこかに昇華されているとするなら、それは店のムードとスタッフのキャラクターにいちばんよく表れていると思う。

僕たちにとっての「元気にする」は「楽しく生きよう」というよりは「そうくよくよしないでさ」といったような、「幸せに過ごそう」というよりは「好きにやりなよ」といったような類の、明るい言葉を尽くさなくても伝わる、しかし温かいメッセージだと思っている。


店には落ち込んでやって来てくれて構わない。むしろ、そんなときに足が向く場所でありたい。僕たちの使命は、明るい方向に引っぱり上げるのではなくて、いつでも同じ場所にいて、ただ自分たちが元気でいることである。

だからスタッフ達には、大きく強くいて欲しいわけじゃなくて「自然に、のびのびと、その人らしく」いて欲しい。


宿に外国人旅行者がいるのも、きっと良い空気を作り上げている。彼らは旅を楽しみにやってきているし、旅行中自分を取り繕う必要なんてないわけだから。

そんな人たちを見かけて、ちょっと珍しいお酒でも飲んで、気の合った人と話して、ご飯がおいしくて、音楽も心地よくて、帰り道ちょっと気持ちが弾めば、これほど嬉しいことはない。


CITANをつくって半年。先日toco.が7周年を迎え、会社をつくってからは7年と半年。このタイミングで、思っていることをなるべく素直に書いておきたかった。きっとあとあと、自分たちの役に立つ。

toco.でも、Nui.でも、Lenでも、CITANでも、それぞれ違いがあって、すべてに共通するものがある。会社はそれらの器である。自分たちにとって会社はどんな存在なのか、いま話せる言葉で正直に捉えていきたい。


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CITAN MOVIE - THE WAY WE WORK
https://www.youtube.com/watch?v=70dGFtM67RA



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