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好きを掘り下げなくてもいいのかもしれない

「居酒屋で飲んで話をしましょうよ」

という誘いがあったので「いいよ」と答えた。よく考えてみれば不思議な誘い文句である。酒を飲むことと話をすることは共存しないのが前提みたいだ。

更に言えば“居酒屋で”も別に必要ないように思うけれど声を掛けてくれた女の子は下戸なので、彼女にとってはごく自然でかえって丁寧な言い回しなのかもしれない。僕以外にももう一人声を掛けているとのことだった。

居酒屋と中華料理屋のちょうど間、もしくはどちらも兼ね備えたような店に入ってつまみと飲み物を注文をする。誘われたもう一人が集合に遅れていたので、僕は誘ってくれた子に合わせてウーロン茶を頼むことにした。

結局遅れて来たもう一人もその様子を見てウーロン茶を頼んだので、僕たちは延々ウーロン茶を飲みながら話をした。

「いっしーさんは尊敬する人とか憧れの人とかいますか?」

「いや、いないってことは無いと思うんだけれど…」

探ってみた時点でかなり怪しい。憧れの人って、なんだったっけ。

「好きな人はたくさんいるけどなあ」

と苦し紛れに発言してふと思う。そうだ、好きな人は周りにたくさんいる。



いつからか分からないけど、あまり惜しみなく、人の印象に「この人は人として好きだぞ」という気持ちを当てはめるようになった。年上の人であっても、尊敬するでも憧れるでもなくただの「好き」。

「好い印象を持っています」に言い換えてもいいけれど、なんとなく偉そうだし『えっ、なんかあなたの感じめちゃくちゃいいですけど!』感がぜんぜん伝わらない。

口に出して「好きです!」と伝えて回るわけではないし、「会う人会う人みんな大好き!」というわけでも全然ない。ただ、「気が合う」人も、「もっと話してみたい」人も、「刺激的で面白い」人も、まあだいたい「こりゃこの人好きだぞ」枠に収めている。


“好き”って表現は少し稚拙というか、だいぶ感情に寄っているし敬遠した方がいい表現だと思っていた節がある。それに、好きなもの(人)なんてたくさんつくるべきじゃないという気持ちもあったと思う。

その考え方を変えてくれたのは、ひょっとするとうちで働いている、もしくは働いていたスタッフかもしれない。彼や彼女は「好き」という表現を、それこそ僕よりも惜しみなく、率直に伝えていた。


例えば「最近Aさんがよく来てくれて」という話に僕が「へえ、どんな人?」と聞くと「そうですね、こんな風な話しをする方で、好きなんです」となどと教えられてしまう。

そんな物言いに「個人的な好きさを伝えられても!」と戸惑ったのは最初だけで、確かに好きだっていうのわかるなあ、とか、この子が好きだって言うんならこんな人なんだろうなとか、知った関係性の中でなら言語化出来ない部分も含めて理解できるようになってくる。理解というか、納得に近いかな。


「好き」で括る正当性は自分でも体感していて、例えばある人を他の誰かに紹介する際、

“行動力があるけれど視野も広くて、物腰が柔らかくて、おおらかで、しかも面白くて…”

など説明をすればするほど、焦点は合えど本質から外れていってしまう気がする。もういいやと思って

「まあ好きってことなんですけど」

って言い直した瞬間に全てが解決される。ああそうだ、それを言いたかったんだ。さっきの説明はむしろ全部取り下げてしまってそれだけ採用してください〜〜、というぐらいに。


五つ年上でも、十年上でも、もっと上でも、なにやらすごい業績を残している人でも、もし知り合って気が合うならば僕はできるだけ「友達」になりたいし、この人のどれそれが好きですよということを言っていきたい。

他の知人に紹介する時も、その人の肩書きや会った経緯やどんな話をしているかなど全部すっ飛ばして「友達です」と言えればいい。ぜんぜん説明出来てなくても、その方が大正解という気がする。



一方で、「嫌い」の方は掘り下げて、分析して、分類した方がいいような気もしている。嫌いの感情は好きよりも双方向性があると思うから。人を呪わば穴二つな意味ではなくて、諸刃の剣というか、嫌いに思う感情って自分にもすごく負荷をかける。

なのでただ嫌いと思うんじゃなく分類をしてみる。「言い草が苦手」とか「主義主張が正反対」とか「攻撃されている気がする」とか。

そこまで考えると、おや、これは 嫌い ではないのでは?という風な気分にもなってくる(「そんなことは全くない!」ということもあるかもしれないしその辺は僕には責任が持てませんが)。それはそれで、その人との付き合い方みたいなものが見えてくるし、実際そうして考えてみると、好きな人に比べて嫌いな人というのはあんまり思い浮かばない。


生活していると、色んなところで不意にどちらの立場につくかを問われる場面が出てくる。そんな時も、好きかそうでないかに立ち返れたらすこし楽。

何が正しいかは分からなくても、好きなことって案外はっきりしている。「正しいかもしれないけど好きじゃない」とか「正しくないかもしれないけど好き」ってのが実は重要な部分を動かしてるんじゃないかなあ。


長々と書いたけれど、好きって感情ってそのままでけっこう真っ当で、もうその生の感じで十分なんじゃないの、ってことを言いたかった話でした。冬が終わってもうすぐ暖かくなりそうですね。

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