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通り過ぎた人びと

人生のあるタイミングで突然登場し、今はなにをしているか知れない人たちが何人かいる。

わずかな時間ながら印象的な関わりを持ったその人たちに対し「どこかで元気にやってるのかな」ということを、あるときは情感たっぷりに、あるときは湿気った心持ちで思う。


大学を卒業し東京に出て来て半年ほど経った頃、同じく東京で就職した大学の友人から連絡があった。「最近どう?元気してる?」とかそういった類いのなんでもない連絡だ。僕もこれと言って特徴の無い文面で返信した。

彼とは学校内ですれ違えば話はするけど一緒に遊びに行ったり飲みに行ったりするようなことはない、そんな間柄だった。とはいえ同じ大学から東京に出て来ていた知り合いは少なかったので(彼にとってもそうだろう)お互い就職して半年ほど経った頃のその連絡は自然であるように思えた。


そのときのメールをきっかけに休みが合えば会おうよという話になり、僕はその友人と久々に顔を合わせることになった。卒業して半年なので変わってないのは当たり前なのだが、彼は就職した他の友人たちにありがちな大変顔や苦労話などがなく、学生の頃と同じか、もしくはそれ以上に陽気で快活であった。

昼飯を食べて別れる際に「次はまた別の所で会おう」と言われる。紹介したい人がいるのだそうだ。とても魅力的な人で、人生の先輩のような人だという。


「とにかくすごい人なんだ。その人の周りには相談をしたり話を聞きに来たりする人がたくさんいて、会った瞬間に泣き出しちゃう人もいるんだよ」

彼は嬉々としてして言った。正直、それを聞いた瞬間に一瞬正体不明の嫌な気持ちにもなったが、こんなに楽しそうに紹介してくれるというのを無下にするでもないと思って僕はその人に会うことにした。

彼の話が本当だとして、僕は出会った瞬間に泣き出してしまうような人がどういう人物なのかという好奇心もあった。東京に出てきたばかりの社会人一年目の休日は、思ったよりも暇だった。


よく晴れた日曜、僕は友人と時間を合わせて、その、すごい先輩のもとを訪れた。中央線の、三鷹から数駅離れた駅の改札で待ち合わせをする。すこし歩いたあたりに先輩の家はあるらしい。

15分ほど歩いたところで目的地に着いた。二階建ての一軒家、周りが白い柵で囲まれており、小さな庭もついている。大きな家ではないのかもしれないが、きれいで、ちゃんとした家だった。この家を見て嫌な印象を持つ人は世界に一人もいないだろうなという家だ。


友人がインターフォンを押して挨拶をする。ドアが開き、しっかりとした体躯の健康そうな男性が僕たちを迎えてくれた。「ようこそ、いらっしゃい」柔和な笑顔だった。友人が先に挨拶をする。

「この前話してた友人の……」

「まあまあ、とにかく入って」

人のよさそうな笑顔で優しく遮られてしまったので、友人も僕も、少々照れた気持ちで家へと入った。「お邪魔します」と言って上がると「どうぞ〜」と女性の明るい声がした。

先輩の後に続いて短い廊下を進み、リビングのドアを開ける。先ほどの声の主であろう奥さんが「ご飯を運ぶから好きなところに座っててね」とこれまた優しくすすめてくれた。テーブルにはグラスが置かれ、先輩はワインを取り出しに冷蔵庫へと向かった。

隙のない、完成された風景だった。僕があと10年も東京に居ればこんな現場によく出くわすことになるのだろうか。休日の昼下がり、都心から少し離れた東京の一軒家ではもしかしたら同時多発的にこんな風景が広がっているのかもしれない。木造アパートの六畳一間、日の当たらない自室で休日を過ごしている僕には未知の光景だった。


友人の方を見遣ると、これまでも何度かこの家に足を運んでいるのだろう、勝手知ったる様子でテレビの前にあるソファに腰を下ろしている。僕もとりあえず倣うことにした。

ソファに座る前に一瞬、ただのTシャツとチノパンで来た自分の格好を思い出し恥ずかしくなる。先輩はシワのない綺麗なシャツを着ていた。シャツがいいとかTシャツがよくないとかそういうことではけど、僕は明らかに浮いていた。


「準備が出来ました」と奥さんからにこやかな号令がかかり僕たちはダイニングテーブルに移動した。料理を囲んで僕と友人、そして先輩と奥さんが向かい合って座る。簡単な自己紹介を済ませ、あとはまあ食べながらでということでワインを頂きながら食事をした。先輩が僕や友人に話を振ってくれ、僕たちは大学時代のことや今の仕事について話をした。

出してくれた料理はどれも凝っていて美味しかった。奥さんは席にはほとんど着かず、終始料理の準備と片付けに勤しんでいた。食事がちょうど終わったあたりで、先輩は僕に目線を合わせるようにしてから言った。

「もう少し石崎君の話を聞かせてよ、固くならずに。好きな事でも、なんでもいいから」

ご飯を食べて落ち着いたなら、さあお互いを知らない僕らはもう少し踏み込んで話をするよ、そうするのが当然でしょう、というような言い方だった。やり方が染み付いているような、決まり切った自然さだった。

自分の話をするのは得意ではないのだが、知ろうとしてくれる人には精一杯応えようと思い僕は「はい」と返事をした。

二本目のワインと共に僕と友人と先輩は再度ソファの方のテーブルに移動した。なんでもいいと言われてもなにを話したらいいのか分からず、僕は手探りで自分のことを話しはじめた。

先輩は「うんうん、それで」と聞いていた。友人も何も言わずににこにこしている。僕はだんだんと居心地の悪さを感じていった。


先輩の反応には興味らしいものがまるでなかった。目を合わせて頷いてくれる。いろんな相づちで反応してくれる。けれど僕たちがしていたのは会話ではないようにさえ感じた。

はじめ僕は自分の話が下手なせいだと思った。伝えるのがうまくないのだ、もしくは相手が興味を持つ話題ではないのだ。そう思って僕はなんでもかんでもと、ずいぶん昔の話までしてしまった。

ちゃんと会話ができる接点が欲しかった。それでも状況はほとんどかわらなかった。気がつくと食事を終えてから一時間が経っており、その間僕がほとんど話した事になる。二本目のワインもなくなっていた。

奥さんの方をちらと見る。片付けは大方済んでいるはずだがこちらの席に来る気はないようでにこっとした笑みを向けられる。僕としては助けを求める視線だったのだけど、虚しい空振りに終わった。


そうして尻窄みするように話が尽きかける。先輩はそうだね、なるほど、と得心したように一番大きな頷きをした。そして言う。

「いろいろ聞かせてくれてありがとう、そうだな、君はもっと幸せになった方がいい」

満面の笑みだった。僕は緊張と礼儀とアルコールで上気していた自分の気持ちが急激に冷え込んでいくのが分かった。今なんて言いました?いやもちろん、言った台詞はわかるけどその意味が全然分からなかった。僕は別に自分を不幸に思ったり現状を不満足に思ったりなどしていない。

びっくりして友人の方を向くと相変わらずにこにこと見守る視線を向けるだけだった。奥さんと同じでどうやら口を挟む気はないらしい。驚く気持ちはわかるよ、とでも言いたげなその表情に僕はいやらしさを感じた。僕の表情を彼は誤解している。

それからは先輩が僕や友人に向けて話をし、今度は僕が相づちを打って話を聞く番だった。議題は「なぜ僕はもっと幸せになっていいか」。けれどそこからの話はほとんど覚えていない。気持ちが完全に冷めてしまった。自分のチームが負けてしまったトーナメント戦をずっと見ているような感じ。スコアも覚えていないし誰が勝ち進んだかも覚えていない。僕はひたすら時が過ぎるのを待った。

僕は人の感情を煽ってまで強制してくるような人に心を許せないしやり方だって共感できない。「もっと幸せになっていい」だなんて誰にだって言わせてたまるか。

夕方になって、ではそろそろ、と家を出た。友人はもう少し話をしていくという。「また遊びに来たらいい」「遠慮せずいつでも来てね」「今度は外でも会おう」と先輩、奥さん、友人が外まで出て見送ってくれ、僕は笑顔で応える。

家に入ってからも話をしていてもうまく笑えなかったのに、関係を諦めてからは笑顔が作れるのが不思議だった。角を曲がるまで見送ってくれるであろう気配を感じながら、僕は一度も振り向かず駅に向かった。


先輩からの話の最後の方で見せられたDVDがある。「人生の秘訣」みたいなサブタイトルが付いたそのDVDは、はじめの3分間ほど外国人が英語で話す導入があり、僕はそれを字幕で追わされた。そこでDVDは停止され、「これはあげるから、続きは家でゆっくり見て」と手渡された。これはあとになってから知ることだけれど、東京には幸せになる方法を教えてくれる教本がいくつもある。僕は幸せになる方法など別に知りたくなかった。

その後、友人からは「今日はありがとう」というメールが来ていた。僕はほんとうに特徴の無い文面で返信をした。それ以降一度だけ「今度この前の先輩を含めた大きな集まりがあるんだけど」という連絡が来て、それを断って、僕らの通信は途絶えた。それ以降も連絡を取ることはなかった。

彼に対して反感や特別に負の感情を抱いたわけではない。元々顔を合わせたら挨拶をする仲だけだった人が元に戻っただけだ。彼にも先輩にも主義や主張、姿勢があってそれに共感しなかっただけ。先輩はどうしているだろうか。あの理想みたいな家はあの場所にまだ存在しているのだろうか。


あれから8年近く経つ。不思議なもので、一年に一回ぐらい、僕は偶然出会った人に、突然生き方や幸せについて訊ねられる。「いま生活してて幸せ?楽しい?」とか「自分のこと好き?」とかである。なんでみんなそんなに人の幸せを図ろうとするのだろう。

僕は「まあそれなりに」「好きですね」などと正直に答えるようにしている。正真正銘本心のつもりだ。すると「あなたみたいな人がそう言えるって、いいよね」みたいなことを言われて会話が終わる。一体なんなんだ。少しだけしぼんだ心で、僕は幸せってなんだっけと考える代わりに、あの日のことを思い出す。


きっとその時よりも少しだけ、僕は自分のことが分かって来ていて、自分の感じる違和感を大事にするようになっている。声や言葉に出せるようになってきたし、話を人に合わせずに済むようになった。面と向かって異を唱えることが出来ないときでも、違和感の正体については思考をする人間でいたいなと思う。また、違和感や自分の大切にするものがわかった自分は、無自覚のうちに、誰かの大切にしている隙間を自分のやり方で無理に埋めようとしていないだろうか、とも。

貰ったDVDは結局それ以降も見る事のないまま、今も開ける事の無い段ボールのどこかに入っている。


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