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ワンハリの半分は、優しさでできている。

もう観ましたか?

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』。

非常にタイピングしづらい作品です。

中黒が5つもあります。

なので、巷では『ワンハリ』と略しています。

監督・脚本・プロデューサーはクエンティン・タランティーノ。

舞台は1969年のハリウッド。

彼の大好きが詰まっている作品だという事はこれだけで概ね伝わってきます。彼の幼少期に観たり聴いたり感じたりした夢のような時代をフィルモグラフィーに加えたかったのでしょう。しかし本作は1969年、この年をアメリカで過ごした人なら忘れられない悲しい出来事が起きた年でもあるのです。

それが本作でもモチーフにもなっている『シャロン・テート事件』です。

当時のハリウッドは、暴力描写、反権力、セックス描写を自主規制していたので、ロマン・ポランスキーの自由な表現の映画をみんな歓迎しました。その流れでアメリカン・ニューシネマという文化が生まれました。

映画業界以外でも、“男とはこうあるべき、女とはこうあるべき”という風習に対抗した“ヒッピーカルチャー”がカリフォルニアで起こり、男は長髪にし、女はブラジャーをはずし、みんなでLSDをキメ、みんなでフリーラブを楽しんでいました。彼らはコミューンと呼ばれる集団を作り、オーガニックなものを好み、個人財産を否定し、全てを共有する思想を大事にしながら生活していたので、多くの若者から支持されたでしょう。ウッドストックの当時の映像を見るとみんな幸せそうです。ザ・ビートルズのメンバーもガールフレンドをメンバーで共有したと聞いたことがあります。(ヨーコはなぜか共有されなかったとも…)

そこで登場するのがチャールズ・マンソンです。

彼もヒッピーコミューンを作り、スパーン映画牧場で暮らしていました。観光客向けに乗馬体験で商売もしていたらしいです。タランティーノも幼い頃父親に連れられてこの牧場で乗馬をやったと言っています。

そして運命の1969年8月9日に起きる事件によってヒッピーカルチャーは終焉を迎えます。善良で非暴力なものだと思っていたヒッピーに対する社会の向き合い方が変わってしまったんですね。

みんなが憧れたカリフォルニアではなくなってしまったので、José Feliciano版なのでしょう。

ハリウッドもヒッピーカルチャーも次の章に移ろうとしていた時期です。それを描こうとした本作。

『昔むかしハリウッドで…』

お伽話です。

タランティーノがみんなに観て欲しいハリウッド。

こうだったらよかったのに、と。

着想は、タランティーノがあるベテラン俳優から「俺のスタントダブルを使ってやってくれないか?」と頼まれた事がきっかけだそうです。その俳優と長年コンビを組んできたスタントダブルを見ると、同じ背格好、同じ髪型、同じ仕草で、そんな2人をモチーフにした映画を作りたいと思ったそうです。何ともタランティーノらしいアングルだと思います。哀愁が好きなんでしょうね。僕も好きです。

映画はハリウッドの気持ちの良さそうな街並みで営まれている生活が続きます。

始まってから結構続きます。

だいぶ続きます…

「あれ?何も起こらないぞ…」

と。

そうです。

何も起こらないのです。

ずっと生活の営みが続きます。

シャロン・テートはずっと素敵です。

自分が出演している映画を観ながら周りの客の反応に嬉しくなったりしてとても可愛いです。これから女優としてスターダムに駆け上がっていく中でもっとも楽しい時期なのがこちらもニヤケてしまうほど伝わってきます。

(ちなみに映画館の映画は本物のシャロン・テートのフィルムとの事です。)

スパーン映画牧場のシーンで「やっと何か起こるぞ」となりますが、ちょっとだけです。

「クリフ、タイヤ交換間に合わせて帰っちゃった…」と。

しかし物語は確実に進んでいます。

前述したとおり8月9日に向かっているわけですから…

この事実が物語をドライブさせています。

全てはラストへの“タメ”ですね。

ラストで全開しましたね。

ドッグフードをブランディーにあげるとき、なぜあんなあげ方をするんだろう、と思いましたがそういう事です。

全開というか全滅です。

落ち目のテレビ俳優、リック・ダルトンと相棒のスタントダブル、クリフ・ブースから見えた当時のハリウッドを描いた本作ワンハリ。タランティーノの映画愛が溢れています。

当時のハリウッド(彼女)へのラブレター。

でもね、お伽話だから…現実は変わりません。

フィクションという半分だけ、彼の優しさでできた映画。

届くといいね。


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