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目に見えないものを信じ続ける力

目に見えないものを信じ続けることは、簡単のようで、本当に辛い。
何故なら、目に見えないからである。

例えば、それが人の心であったり、感情であったりと。見えないものを信じ続けるのは、本当に強靭なメンタルと感情のコントロールが必要なのである。

私は、この度の自らの選挙戦でそれを味わった。そして信じる大切さの価値を知った。これまで知っていたつもりだったが、そんなもんじゃないこともわかった。また、信じないことから、その人を傷つけることになる罪も知った。

結果オーライで終わった新潟市西区の県議会議員選挙。私も初めての経験、というか中選挙区制であった2007年以来の自民党候補者が複数になる選挙戦を経験した。

これまでは、保守系無所属議員は存在していたが、地域の違いや、支援者層の違いから、ある程度の棲み分けができていた。だが今回は違う。だから私も、がんばったし、その分、辛かった。


なぜ辛いのかと言えば、勝敗でも立候補する当事者同士の関係でもない。

今までひとつだった地域の方々や支援者の方々、自民党支持者の方々を「分断する」からである。

私は過去に保守分裂した身内の殴り合いの選挙戦に関わった経験があるから、その溝は全て終わった後でも、簡単には埋まらないことを知っている。

だから、誰にどう思われようが、何を言われようが、告示前までは、一切の集会や会合を開かなかった。仮に開けば「あの人はあそこに居たが、ここには居なかった」とか「あの団体や企業は誰々を推している」といった話が大きくなり、昔の中選挙区のように地域や人の分断につながると信じた私の勝手な判断である。

ただ、それを実践するのは、さらに辛い。
自分の実力や仕事の貢献度といった、議会人としてのバロメーターを拒否することでもあるからである。あるのは不安だけである。

選挙とは過酷なものでもある。時には「見たくないものを見て」「聞きたくない噂話も聞こえてきて」「ありもしない話や悪口も聞く」日々が続く。

人間不信に陥るまでは行かないが、本当にキツかった。それでも何食わぬ顔をし続ける以外ない。ただの男の瘦せ我慢である。

その分、私はこれまで以上に、多くの方々の元に伺い、話を聞いてきた。

本当に多くの方々と直接会話し、生活の悩みや将来のこと。社会の在り方や新潟の未来について、本当に多くの話を聞いてきた自負はある。

重ねた会話が知識になり、自身の力になり、やる気につながり、告示前には、自らの強い自信が完成された。

また、政治の世界で一番大切だと感じるのは「現場の今を知ること」であり「未来を創り出す努力」であり、私の政治信条「政治は弱者のためにある」という信念を、見つめ直す貴重な日々であったと思う。

始めは無かった「見えないものを信じ続ける」力。

私を必要としている人たちや地域があることを強く思い知ることとなった。その結果、告示日の私はメンタルも含め「最強」に仕上がったと思う。


ひとつだけ、深い後悔がある。
「見えないものを信じ続ける」ことができなかった出来事。

私は今回、選挙区の地域を隅々まで伺ったが、ひとつだけ行かなかった地域がある。そこは対立する候補者の住まいのある地域だ。

その地域はこれまで、河川整備が課題であった地域で、私が現職になってから、地域から継続して要望をお受けし、河川整備を毎年必ず実現してきた、いわゆる「お互いの信頼が構築されたと思っている地域」でもあった。

行かなかったのは、対立候補者への配慮もあった。でも、心のどこかで裏切りにも似た「この地域は私から離れた」と思う自分もいた。

選挙戦最終日、私は街宣車で初めてその地域に入った。

私が12年前に初めて立候補したときから、本当に助けてくれた方の家の前を通った。本当にお世話になった方だったが、今回は素通りするつもりでいた。

その時
その方が街宣車のスピーカーから聞こえる声を聴き、奥から姿を現した。

俯きながら、震えた声で一言だけ「俺はお前を推しているんだ」と。

私には後悔しかなかった。


その方は、私が「その地域だけ行かなかった」ことも、私がどんな心境でいるのかも、全て分かっていたのだと思う。

何てことをしてしまったのか。俺はその人を信用していなかった。裏切ったのは自分じゃないか、と。差別にも似た自分の行為を後悔してもしきれないし、その方が震えながら絞り出した声と同じように、後から私も後悔の涙が出た。本当に後悔しかない。


「目に見えないものを信じ続ける」ことは、人間には出来るのだろうか。
でも、そんな不安に悩み苦しみながら、自問自答し、それに打ち勝つのが、強い人間なのかもしれない。

私が初めて立候補したとき、それは今でもそうなのだが、思想信条が合わない方から誹謗中傷されたり、無視されたりと、この世界は色んな経験をする。でも私は差別することなく、その人たちも含めた人のために働くと、12年前に決めた。

そんな初心を振り返ることができ、政策やビジョンで切磋琢磨することができる中選挙区制に似た経験を出来たことは、私の人生の中で、本当に貴重であり、学ぶことが多い経験であったと思う。

これからの4年間、その気持ちを忘れることなく、公のために尽くしていきたいと心の底から思った。