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再ロックダウン2日目

今パリにいる。昨日から、フランス2度目のロックダウンが始まった。

noteを始めようと思ったのは、ロックダウンで目の前に大海原のような、ひまな時間が広がってしまったから。家にひとりでいて、先の心配や昔のこと、今ここでひっそり死んでしまったらどうしようとか、いやいや、やっぱり人間は希望や夢がなきゃ生きていけないでしょ、なんて思うようになったから。ひまっていうのは、人の脳みそと心理を狂わせるもの。だから、ひまが嫌いだった。アジェンダをいつもパンパンに書き込んでいると、それだけで安心する。

そんな生活を何年も送っていたある日、急に身体がついていかなくなって、仕事をキャンセルして身体を休ませる必要があった。去年のことだった。幸いなことに生死に関わる大病ではなかったけど、周りに助けてくれる友達やお医者さんがいなかったら、たぶん今ここにいない。放っておけば治るものではなかったから。この話は長くなるから、また別のときに書こうと思う。

とにかく頭の中に色んな話題が上がってくるから、書いてる隙に本筋に戻れなくなる。

話を戻そう。今、私の住むフランスは10/30(金)から再びロックダウンに入った。春のロックダウンのときは、運良く開始直前にエアチケット購入しその日のうちにフランス脱出、日本に無事に帰れた。そんなわけで、今回初めてロックダウンを経験することになる。正直、不安だ。

冒頭の写真はロックダウン前日に撮ったパリの街。これから最低4週間この景色を自由に観に行くことは出来ない。だから、この日は外出禁止令で罰せられる直前の21時まで思う存分楽しんでやろうと、友達に会いにいき、買い物に外食に街歩きを足がクタクタになるまで満喫した。ここまでやれば4週間はきっと我慢できる。やはりパリは美しい。人がたくさん死んでもこの景色は残ると思うと、なんだか寂しくなった。それでもパリは綺麗な街だ。ここに罪はないし、建物はウイルスで無くなったりはしない。

好きな景色を自由に観ることが出来ず、同居する家族以外の他人には会えない。買い物に行くのだって、許可証をコピーして持って歩かなければならない。自宅から半径1km以内、1時間まで。これが嫌なパリの住民たちは、1回目ロックダウンの経験を教訓とし、大荷物をまとめて一昨日から地方に散っていった。

これは疎開だ。そして外出禁止令もロックダウンも、戦時下の戒厳令だ。

今回のロックダウンはマクロン大統領の発表から1日半で始まるという、とんでもない急展開だった。噂では、外出禁止令が19時からになるとか、そんな程度だった。だから、この急な決定にフランス国民のほとんどが驚いた。あとから聞く話によると、このところ勃発しているテロを防ぐために急に対策をとったとか。

1日で世界が変わることに、あるエピソードが頭をよぎる。ベルリンの壁だ。

たまに仕事でベルリンに行くのだけど、前回コロナの合間を縫って行った6月下旬に初めて、ベルリンの壁の生々しい跡をバスから眺めることができた。もちろん行けば、ここは元東ベルリン、ここは元西ベルリンと大体はわかるのだが、生々しく壁の中に埋め込まれていた鉄が剥き出しになっているのを見て、スマホですぐに歴史を調べると、それは一晩にして出来たということを初めて知った。揶揄かと思ったが、どうやら夜中の間にみるみるうちに壁が建設されていったらしい。

今のロックダウンはそこまで悲惨な状況ではないけれど、ある大きな権力によって、人間の権利がある日突然、いとも簡単に奪われる世の中がこの現在なんだ、ということを知っておくべきと思った。今までノホホンと40年以上生きてきて、こんなに世の中の権力を恐ろしさを感じたことはなかった。日本人の私たちは相当守られていて、外国に出ても、ヘイトだなんだと言われる現代社会において、そこまで酷い扱いを受けることはない。白人系フランス人も同様だ。先進国のそれらしい顔の色をして生まれてくれば、そこまで不当な扱いを受けることは滅多にない。それがいま、世界は変わろうとしている、権力はすべての人間に対して、大きな抑圧をかけてくる。それも、どう反発しても覆せないくらいの圧力で「義務」と「罰」という武器で、「疫病」という盾を持って迫ってくる。悔しさでいっぱいになる。

コロナで仕事がどんどんキャンセルになり、最初こそ、身体を休める良い機会と喜んでのんびりとしていたけれど、この2回目のロックダウンで希望を完全に失ってしまう人も少なくないんじゃないか。コロナで失業した人、店じまいした人は、一時的なお金をもらって、その後いつまで続くかわからない危機をどう乗り越えろというのか。そんな弱気なこと考えたくないけど、どうやって希望を持って生き延びられるか、ヒントを見つけるには、このドン底は無視できない。

私は一瞬だけど、希望を失った。2週間ほど前に急に希望の炎みたいのがパッと消えた。希望は私の生きる糧だ。生きる理由だ。こんな酷い消え方は人生で初めてだ。これではまずいと思って、いつもみたいに何でも良いから、したいことを探そうと思っても見つからない。人が頑張ってるのをみて羨ましくもならない。もう潮時かもしれない、数日の間そんなことばかりになって辛かった。今せめて、ここに書けるだけでもだいぶ回復したんだと思っている。

どうにもならない困ったことが起きたり、近親が亡くなったりすると、正常化バイアスが働いて、異常な感じのポジティブになりながら、人間は自分の落ち込みを無意識に隠して治そうとするんだと思う。何をしたら完璧にスマートに治せるかなんて方法、気休めはあっても、完全な解決策はないんじゃないかと思う。

ひとつ言えるのは、考えすぎるともっと参ってしまうということ。

2回目ロックダウンが発表された夜、ものすごくショックで八方塞がりな気分になった。やけ酒しそうになったし、友達にも連絡したけどキリがない。どうにもならないから、とりあえずシャワー浴びて髪の毛でもゆっくり洗うかと、風呂に入って頭をマッサージしながら髪を念入りに洗う。すると、どこからともなく面白いアイディアが頭に浮かんでくる。ひとりで頭の中で会話をしてる。嬉しくなった。アイディアさえ浮かべば、もう逃げることも捨てるものも何もない。あとは行動に移すだけだ。誰かに言ってしまえば、もう引き返せない。

そう思って、風呂を出て友人にメッセージする。返事が来た。そのことを試しに始めてみる以外、ほかの選択肢はなくなった。やるしかない。

目の前に広がる大海原のようなロックダウンのひまな時間は、いくつかの脳内アプリがインストールされて、容量がだいぶ増えてきた。たった2日で。あとはそれをちゃんと利用するかは自分次第。

国や権力が1日で世界を変えようとしても、自分は2日あれば復活できる。どんな状況であっても。

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