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愛を隠して、愛に気付けない ~思い出話~

同村内でいい物件が見つかったので、引っ越すことになり現在断捨離中。

数年前の自分のノートやら写真やらが出てくると、ペラペラと中身を読みだしてしまうタイプなもので断捨離が進むのは遅いです。

掃除などの仕事を早く終わらせたがり妻は「そんなチンタラやってないで決断決断!」と急かしてくるのですが、僕は「こうして思い出に浸るの好きなんだよね」と、自分の義務教育時代の通信簿を熟読。

その当時自分が興味を持っていたことや、親と先生の一言コメント欄とか、今読むと新鮮。過去なのに新鮮ってなんか不思議で面白いじゃん?

そんな感じで昔の自分のノートを見つけて読み返していたら、面白い文章が出てきたので、忘備録としてここに残しておこうと思った。

当時22歳の僕が北海道利尻島へ渡り、観光ホテルで住み込みバイトした経験と”愛”について書いている。

ここが利尻島。まさに果ての島。

3カ月の利尻島生活を振り返って

近所にはスーパーも娯楽も無い。
あるのはホテルと寮にしばられる日々。
そこから俺は何を学び、何を得ることができたんだろう。

8月1日。3ヶ月住んだ島がどんどん小さくなっていく。
俺の眼からは涙がこぼれた。
「この島に愛は無い」
この島を出ると決めた半月前、俺はこんなことを言っていた。

寮では毎日愚痴パーティ。
ホテルの経営陣は従業員を大切にしない。

周りの誰もが愛を忘れてしまっている。
自分以外の人全てがゾンビみたいに見えた。
「ここに居たら俺までゾンビになる」そう思ったから、こんな島出る!と決めた。思い残すことも未練も無かった。

でもいざ島を離れる時、俺の眼からは涙がこぼれていた。
”これは何の涙だろう?”って考えた。
それはたぶん悔し涙だったと思う。
その時ようやく気付いた。

”愛が無かったのは自分だった”って。

見送りしてくれたバイト仲間。
涙ぐんでた。

「克弥さんと居るとインドネシアのお兄ちゃんを思い出す。だから克弥さんのことお兄ちゃんって呼ぶね^^」
以来、俺のことをお兄ちゃんって呼んでくるバリ島出身ガールのK。

「あんたとフロントやれてほんまに楽しかった。本気でさみしい。」
もうすぐアラサー関西女子のYさん。
この人とはフロントで本当にゲラゲラ笑った。

いつも爆笑をくれる俺の笑神様、支配人のSさん。
支配人として超多忙だけど、いつも笑わせてくれた。

「3ヶ月本当に助かった。ありがとう。お疲れ様でした。」
いつもムスっとしてて経営者としてどーしよーもないところもある社長。最後の最後だけ人間らしいこと言いやがって…。あんた、良い人じゃんか。

みんな愛を持ってた。
隠してたのか、俺が気づかなかったのか分からないけど、俺が利尻でやるべきことだったのは、俺の愛で、みんなが助け合える環境をつくることだったのだと今になって思う、気持ちや言いたいことを出し惜しみしていなかったら、もっと素敵な職場になっていたと思う。

言っても変わらないと決めつけて、自分は殻にこもって将来のことばかり考えたフリをして…。
それが情けないし悔しかった。

利尻でも、家族のような人が二人できた。(どっちもバイト仲間)

ホテル中に響き渡る大きな笑い声のYさん。
本当にうるさいくらい。でも誰も注意しない。
心からの笑いは誰も止めることなどできないのだと、この人を見ていて思った。

”お兄ちゃん”と、慕ってくれるK。
一緒にいると平和な心になれる。バリ島育ちの影響だろうか。
一期一会を大切にしていて、ホテルのスタッフ全員と記念のツーショット写真を撮るくらいに出会いを大切にしている。お兄ちゃんと呼んでくれるのだが、あなたの方が6つ年上ですよ…。笑

ここでの出会いと後悔を胸にしまって、次のステージで生きていく。

2016.8.1

利尻島中が5~7月の短い繁忙期の中、みんな必死で激務な日々だったけど、こうして振り返るといい経験です。

さて、この見つけたノートは燃やしてしまおう。


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