弱者男性など考えたこと

自分には「彼女がほしい」という欲望がある。

それがどうしたって話だが。
(実際のところ、誰も自分には興味ないのだ)

せいぜい「彼女が出来たところで何も変わらないぜ?」って言われるのが関の山。それでも自分は「彼女が欲しい」と言い続けるのだった。

ともかく、彼女を作るには、「前へ前へ」と進んでいかないといけない。成長して、自己実現を繰り返して、魅力的な人間になり、他者からは決して見返りを求めず、文句も言わず、マウンティングもしない。とにかく寡黙にやる。可能な範囲で。

だけど、それがむずかしい。

どうしたって自分は、そういう人間になれない。「人間」の単位に届かない。なんなら、「どうせ普通の人間になれないなら…」と開き直っている節すらある。

普通の人=「1人間」だとすれば、自分=「1ナノ人間」位の人間量しか持っていない。

それくらい差がある。正直、自分は人間よりゴキブリに近いレベル。なので、自分は、人間と、まともな関係を築くことが出来なくて当然だ。

てなことを書くと、極端だとか、自虐だとか受け取られかねないけど、本当にそうなのだから仕方ない。或いは、「そんなことないよ。だって、うんぬん〜」等と、アドバイスをしてくれる人があるかもしれない。

それならそれで、アップをはじめるぜ。

自分は、自分に向けられたアドバイスを論破することが、生きがいになっている。

やさしい人の、いい加減なアドバイスに対して、「実際、恋人を作っちゃいけない人間というのは存在するのですよ(自分みたいな人間のことです)。そして、何にチャレンジしても無駄なのですよ」と論破することが、オレのライフワークなのだ。

そして、オチが必ず「やってみたけどダメでした〜!」の、「彼女を作るために挑戦したことリスト」も作っている!

そんな感じだからダメなんです。

尤も、「弱者男性は恋人を作らない方がいい」という自明の論理がある。男性には明確な評価軸があって、スペックが低い男性ほど加害性があって。(それが悪いわけではないとは思うが、社会的にはやはり「悪」なわけで)

恋人を作る「資格」があるのは、やはり「(広い意味で)スペックが高い人間」。だから、われわれは(広い意味で)強くなる必要がある。

ただし、恋人を作る「資格」がない人間(=スペックが低い男性)でも、恋人を作ることは出来る。免許がなくても車の運転が出来るように。

そのために大事なのは「コミュニケーション能力」だと言われている。(上野千鶴子「女ぎらい」の「非モテのミソジニー」の項によると、)

つまり自分は「コミュニケーション能力が無いから、恋人を作ることが出来ない」という事になる。くやしいけど、そうなんだろう。

自分は、数年前まで、街コンに参加したり、マッチングアプリに登録したり、オフ会に参加したりしていた。

いま思うと、あれは牧歌的な時代だったのだ。

異性と知り合って、一方的に好きになって、LINEを送った。デートをしたこともあれば、セックスをしたこともある。だけど、やっぱりコミュニケーション能力がないので、長続きする関係性を作ることは出来なかった。

そして、当時は、そのような暴力的な行為を、無自覚に、平然とやっていた。若かったし、無知だったのだ。

今の自分は、それが許されない行為だと知っている。尤も、許されないと知りながら、(果敢に?)チャレンジする事は出来るはずなのだが、そこで勇気を出しても、おそらく誰も幸せにはならないのだろう。

「ここまでかな」というところで、立ち止まり、引き返す。(自分のような)弱い男性は、あんまり深く人と関らないほうがいい。加害者にならないために。

とにかく自分は、自己肯定感が高すぎて困っているのです。自己肯定感が高いから、こんな文章を書いてしまう。

「自分にはゴキブリほどの価値しかない」という自己評価の表明も、「他人から見ればこのぐらいが妥当かな?」と思いつつ、ちょっと下げすぎなぐらい下げて書いているような気がしなくもない。
(ただし、弁明しておくと自分はゴキブリに対して、リスペクトもあるし、憐れみの情のようなものを感じていて、自分なんかをゴキブリと比較するのは、ゴキブリに対して申し訳ないと思っている。ゴキブリを、一方的に「悪」だと断罪したくない、という気持ちがあります。まあ、見つけたら殺すんだけど)

とかいいつつ、こんな文章書いて、また同情を引こうとしている。同情をひいても仕方ないので「まん毛」という言葉で、この文章を終わらせたいと思います。
「まん毛〜!」(バイビ〜的な感じで)

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