砂澤ビッキのスケルトン

北海道立近代美術館において、砂澤ビッキ展が2023年1月22日まで開かれてるようです。以下、それを見たときの結論なき記録。


北海道立近代美術館で開かれている「砂澤ビッキ展」を見た。その感想。ビッキを知ったのはこの企画展においてであるから、素人が知ったかぶりで書いている。誤った解釈などがあっても、お許しいただきたい。

砂澤ビッキという人は、「触れる」「動かせる」ような彫刻をテーマとしたらしい。企画展の最初に展示されているのは、昆虫や甲殻類、動物をモチーフとした木の彫刻である。彼のテーマよろしく、それぞれの彫刻は「関節」を備えている。それを見て初めに想起したのは、『天空の城ラピュタ』に出てくる「ロボット兵」(の手足)である。彫刻もロボット兵も、動くのに合理的な関節がいくつもあり、直線というよりは曲線的に表現されている。ロボット兵の素材は不明とされているが、何やら木(バイオマス的な)を素材にしているのではないか、という気もしてきた。

また、このような関節があり、そして触れる、動かせるということからは、「プラモデル」も想起した。プラモデルの場合、文字通り素材はプラスチックであり、木とは決定的な違いがある。ただ、タイプでいうとガンダムというよりはゾイドというような感じ。ガンダムは人型ロボットであるが、ゾイドは「メカ生命体」ということで、動物がモチーフとなっている。ビッキの展示の中でもエビ(イセエビ?)をモチーフにした大きな彫刻があったが、ゾイドで言うところのデススティンガーを想起してしまった。

なお、最初のコーナーに展示されている動物らの彫刻には、独特の模様が彫り込まれている。それが、ビッキの世界観を表しているのであるが、プラモデル的には「情報量が多い」と表現される。プラモデルを作るとき(消費者が作る時ではなく、生産者が製造するとき)、細かい模様(モールド)が多ければ多いほど、リアル感は増していくが、当然生産コストが多くなる。そのため、安価なプラモデルは模様は少なくなり、武器やバーニアといった箇所にのみモールドが施されることになる。ビッキの彫刻で言えば、模様が彫り込まれているのは、いわば筋肉(昆虫や甲殻類でいえば「殻」)にあたる部分である。彫刻に関節を組み込むことによって、独自の世界観を作り上げているが、さらに「本来であれば模様が存在しない」部分に、模様を彫り込むことによって、独特さが強調されている。それは、筋肉表現(動きの表現、あるいはそのデフォルメ)ではない。視たとき、触ったときに、感じる個別具体的経験のための表現である。ただ、ビッキ自身も指摘するように「蝶」は例外的な存在である。

蝶は、およそ動くに際しては必要のない模様を羽に「彫り込んでいる」。そのため、蝶を彫刻のモチーフとする場合には、蝶自体が持つ模様の美しさと、彫刻家が持つ模様への想念が対峙し、その結果としての作品が成立してしまう。蝶が、あるいは自然界の生き物が、およそ動くに際しては必要のない「飾り」を持つことは少なくないが、なるほど、それを表現しようとする試みは、意外と難しいものになるのかもしれない。

さて、次のコーナーでは、ビッキの「ANIMALからTENTACLE(迷宮)へ」という転換が展示されている。ここまでのコーナーであった模様(モールド)は影をひそめ、表面は比較的つるつるとした表現になっている。また、ANIMALのテーマでは、文字通り実在の動物らをモチーフにしているだが、ここでは何とも形容しがたい抽象的な形となっている。解説から想像するに、より「触覚」への意識が向いたのだろう。視たときに面白い模様ではなく、目を閉じた状態で触っても面白い形。何も見えない「迷宮」の中で、触覚により何を伝えられるのか、伝わるのか、そのような試みがなされている。

さらに続くコーナーでは、彫刻の巨大化(巨木を用いた彫刻)へと展開する。形で言えば、1つ前のコーナーを引継ぎ、どちらかと言えば抽象的な形をして、モールドもほとんどない。ただただ、大きくなっただけ、とも言える(最大でも人の背丈ほどである)。「大きい」とは、単純であるが人間に畏敬を抱かせる。山や海といった大自然への畏敬、人工物においても、ねぷた祭りにも出てくるような伝統的な巨大物、城や建物。芸術においては、岡本太郎の太陽の塔などであろうか。大きいものは、ただ大きいというだけで、人を圧倒する。美術館における展示のような場では、ビッキがテーマとしたような触れる彫刻を実現することは、残念ながら不可能である。「作品にはお手を触れないでください」という注意書きが常について回る。このような場面において、視覚を超え、何なら触覚を超えて、「体全体で感じている」としか言いようのない感覚を、見る?者に与えるための表現として、「大きくする」という選択は合理的なのである。

最後半のコーナーでは、日常や生活、といったものが現れている。木による「お面」や、自家用のための家具(椅子など)が、展示されている。ここにおいても、模様(モールド)はほとんどなく、ビッキの世界観を表すのは形である。今回の企画展がテーマに沿った順に展示しているのか、時系列に沿って展示しているのかは、よく分かっていないのだが、最後半にこのような、他者に見せる/触らせるということを意識しているというよりは、自分自身へとベクトルが向いたような展示がなされていることには、何とも自省的な感を覚える。

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