思考のメモ:大学という場所

 大学は本質的に都市的な場所である。ここで「都市的」とは、地理的な意味での都市を指すわけではない。大学に集うのは知的な営みをしようとする人たちであり、その人たち持つ価値観や社会的背景はそれぞれ異なっている。異なる価値観や社会的背景を持つ人たちが、知的な営みをするという点において、大学とは都市的なものである。

 小学校や中学校と比較すれば分かりやすい。私立学校は別にして、学区というものが自明のものとしてあり、同じ地域の子どもたちが同じ学校に通う。子どもたちの価値観や社会的背景は、おおよそ似通ったものとなる。それに対して大学には学区がない。経済的な問題を考慮しなければ、本人の選択によりどの地域にある大学に行くこともできる。

 もっとも、地元の大学に行くことそれ自体により、大学に行くことの意味が削がれるわけではない。要諦は自分とは異なる価値観や社会的背景を持つ人たちと交わることであるから、例えば同じ中学校、高校に通った友達と大学時代もずっとつるんでいるということでなければ、大学に行く意味はある。

 いや、そもそも「大学」という場所にこだわる必要はない。異なる価値観や社会的背景を持つ人たちが交わる場所であればよい。大学の外であれば、さらなる「差異」が、そしてさらなる営みが期待できる。

 とすると、大学に求められるのは知的な営みというよりも、「アカデミックな」知的な営みと表現した方が正しいのかもしれない。大学には大学の作法があって、大学という場所はその作法を共有している人たちによって成り立っている。

 まとまらないが、ひとまず終わり。「地元進学」「地元就職」を叫ぶ地方自治体に対して持っている違和感を、なんとか言語化しようとしていたら、少しずれて言語化されてしまった。また今度。


 

 

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