誰がための伝承館
先日、東日本大震災津波伝承館を訪れた。巨額を投じたのであろう非常に立派な作りの建物だった。展示内容は、コンパクトながらも広島の平和記念資料館を彷彿とさせる、淡々と事実を伝える良いものだった。
しかし、どうにも理解できないのは「なぜ、この場所に作ったのか」ということである。近くには「震災遺構」と呼ばれる建物があるし、海も見えるし、東日本大震災の前には高田松原があったし、ということなのだろうが、「再び津波が来たら、再び津波にのまれる場所」に、伝承館は建っている。
全国各地に「大津波記念碑」と呼ばれる石碑があり、岩手県宮古市重茂姉吉にある石碑が特に著名である。そこには、次のように記されている。
これは1933年の昭和三陸地震による津波を受けて建てられたもので、2011年の東日本大震災のときにも「此處より上」に建てられた住居には、津波の被害がなかった。思うに、災害の伝承は、このように「後世の人間の実利」を慮って実現することが理想だろう。
翻り、東日本大震災津波伝承館であるが、次に津波が来たときには何ら役に立たない。避難所としての機能を持たせたり非常用物品を備蓄したところで、そもそも海の近くにあるのだから「そっちには行くな」と言われる場所である。これが、例えば震災後に整備された高台の上にでもあれば「平時は津波を伝承する場であり、有時は避難所となる場」として機能しただろう。
結論として、現在生きる人々の利益が優先されたと評価するしかない。見学者へのインパクトや、震災前への郷愁、あるいは経済活動の拠点としての淡い期待。それが何を招くのか、次に津波が来なければ分からない。
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