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人口希少時代における関係性の価値

戦後の高度経済成長期は、日本国内における消費主体の数が飛躍的に増大した時代でもあった。ベビーブーム等による人口増加により、絶対的な消費主体が増えただけではない。家族が個人へと徐々に解体されたことも、その増大に寄与している。例えば、一家に一台の黒電話は1人1台の携帯電話へと変わり、希釈用の得用カルピスは500mlのペットボトルへと変わった。

さらに今日においては、個人すらも解体が始まっている。個人は「24時間の可処分時間」へと解体され、供給側は可処分時間を奪い合う。twitterにどれくらいの時間を使わせるか、instagramにどれくらいの時間を使わせるか、youtubeにどれくらいの時間を使わせるか……。企業が求めるものは、ユーザー数の増大ではなく、ユーザーが自社のサービスを使っているアクティブ時間の増大である。

日本の政策史における「関係人口」概念の登場も、この流れの中で理解することができる。日本国内における絶対的な人口が減少を続ける中で、地方自治体がユーザーの「24時間のすべての可処分時間」を獲得することは難しくなっている。そこで、「24時間すべてとは言わないから、その一部でも自分の自治体のために使ってもらう」ことをよしとする関係人口概念が登場した。これによって、地方自治体は、表面上のユーザー数の増大を見せかけることに成功したのである。

しかし、人間の可処分時間は1日24時間で決まっており、これが増えることはない。また、日本国民の可処分時間は人口によって決まり、その人口が減少しつつある状況では、可処分時間も当然に減少していく。すなわち、関係人口は、定住人口概念と同様に、いずれ地方自治体のゼロサムゲームの対象へと帰結していく。

一方で、デジタル技術の発展が地理的距離を超えて人々のコミュニケーションを容易にした点は、今後、より着目されるべき点である。ヤングが『アイデアの作り方』で指摘する通り、アイデアとは「新しい要素」を作り出すことではなく、要素間の「新しい組み合わせ」を作り出すことである。とすれば、これまで相まみえることがなかった人々のコミュニケーションは、これまでにないアイデアを生み出す可能性へとつながる。

人口減少は、自明のものである。そして、人口減少がもたらす人々の可処分時間の減少もまた自明のものである。このような時代において、人口や可処分時間の獲得に注力しても、早々に限界がくる。今日において、地域課題解決の萌芽を作り出すためには、「関係の組み合わせ」の増大、別の言い方をすれば「多様性を持った関係」の構築こそが必要となる。


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