見出し画像

ひきこもりおじいさん#47 塩尻駅

既に十一月の塩尻は日中でも冷え込みが厳しくなり、今日は特に雨なので余計に寒かった。隆史は寒さに思わず首元まで着ている厚手の黒いナイロン製のジャンパーのファスナーを締め上げた。ジャンパーの下にはナイキ製のパーカーを着込み、下はジーパンに黒のコンバースのスニーカーという格好をしていたが、寒気は容赦なく身体を刺して、隆史はマフラーをしてこなかったことを後悔した。軽く両手を擦り合わせながら、腕時計で時間を確認すると、時刻は午後三時二十分にまもなくなろうとしている。昨日の信之介の電話では、午後三時十分発の特急スーパーあずさ新宿行きに乗るということだったが、その姿はまだ影も形も見えなかった。
信之介からの電話があったその日の夜に、隆史は二度目の東京行きの話を両親に伝えた。そして、そこで隆史は高校受験の勉強を信之介と美幸のアパートに泊まり込みで、二人に教えて貰うという強引な嘘をついたのだった(その時、上京する本当の理由を両親に正直に言おうか迷ったが、直感でまだおじいさんの件は黙っていることにした)。ただ幸いにも両親は花火大会の時の事があったので、信之介や美幸のことを思いのほか信用していて、隆史が二人を説得するのにたいして時間はかからなかった。勿論、詳細な辻褄合わせの口裏は信之介にも上手く合わせて貰った(八日の電話の際に信之介が英子に東京で隆史に勉強を教えるという旨を説明してくれた)。ただし、八日も昨日の電話の際にも信之介は要件だけを簡潔済ませたのみだったので、具体的な「会って貰いたい人」の詳細については聞くことが出来ていなかった。
不意に現実的な甲高いクラクションの音が風に乗って聞こえた。隆史の視線と意識はまるでそこに存在しないものでも見るように、虚ろに何もない線路を見つめていたが、その音を合図に素早く我に帰ると、何かに弾かれたように音のした松本方面に視線と意識を向けた。その直後、視界に捉えた紫と白に配色された特徴的なスーパーあずさの先頭車両は、滑り込むようにして塩尻駅のホームに侵入してきた。

#小説 #おじいさん #寒さ #スーパーあずさ #クラクション #視線 #意識

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?