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その途中。『マチネの終わりに』(※一部、映画評があります)

こんばんは。
人形を作り、それをつかった写真作品を作っているサイトウタカヒコです。(Portfolio Website:http://saitotakahiko.strikingly.com)
今年は個展なども行えれば…!と思っている日々です。

先日、毎日新聞・note上で連載が終了した小説家の平野啓一郎さんの
連載小説『マチネの終わりに』
との連動展示企画に参加しています。
場所は渋谷。日程は4月8日(金)〜4月18日(月)を予定しております。
こちらの方もよろしければお越しください!

(↑制作中の作品の一部。磨きの途中。このポーズ・・・小説を読んでいる人からすれば…。わかってしまうか…。)

◇『マチネの終わりに』は現在、単行本の予約を開始したそうです。
連載開始から読んでいた私も、挿絵などのことも含めてどんな単行本になるのか楽しみです。(あとはnoteは横読みだったけど、小説は縦読みになるというのも意外に新鮮な発見があるのでは。とも思います。)
でも、同時に展示まではもう一月半程度しかないということ。

・・・緊張する。。

(↑雑然としている作業机の上で撮るのもなんなので。
かつてユザワヤで買った布の上に座らせてみる。柄の花は牡丹?意外と合う)

・・・とは言え、作品は鋭意制作中です!
少しずつnoteにも制作状況を投稿していく予定です。
良い作品を展示できればと思います。
(ただ、小説を読んでいる方がより作品については分かってもらえるかも。
なのでお時間あるときにnoteで読んでもらえたらよいかなぁと思います)


◇さて、そんな緊張から逃げるため(?)久々に近所の映画館に
行ってきました。
鑑賞したのは監督*トッド・ヘインズ。原作*パトリシア・ハイスミス『The Price of Salt』(「太陽がいっぱい」を書いた人です。)による
映画『CAROL』(キャロル)です。

・・・と、映画自体はとってもとっても良かったんですけど(アカデミーの主演・助演女優賞は惜しくも逃してみたいですが…)、今回ここで話したいのは
この監督の前々作『エデンより彼方に』(2002)についてです。

◇映画『エデンより彼方に』は1950年代後半のアメリカの東部にあるコネチカット州を舞台にしたメロドラマです。主演の高級住宅地に住む夫人のキャシーをジュリアン・ムーアが演じ、ヴェネチィア国際映画祭では女優賞をとっています。


・・・それでなぜこの映画の話を出すかというと、一年前『マチネの終わりに』の連載がまだ始まる前、物語のさわりの部分や今回の小説のテーマなどを
顔合わせなどで伺った際に、私が思い出したのがこの『エデンより彼方に』
だったからです。

この映画自体は裏設定として1950年代に作られたあるアメリカ映画のオマージュであったり、物語の中には人によっては「ええっ。こんな展開?!」という部分もあったり、舞台となっている場所や時代の面でも「100人見て100人泣けるという」ような映画ではないとは思います。
が先の「CAROL」と共にこの映画も名作です。
(「『マチネの終わりに』とは全く結び付かないよ!」というのも、勿論あると思いますが…。)


◇舞台となる1950年代のアメリカというのは、40年代の世界大戦と冷戦の緊張が高まる60年代の間にあったアメリカにとって恵まれた豊かな時代の話で、主人公のキャシーは高給取りのセールスマンである夫と愛する子供たちの中で暮らしていて、会社からも周囲からも「理想的な良き妻」として褒め称えられる、恵まれた生活を送っていました。

(↑『エデンより彼方へ』の時代設定と同じ1957年の自動車の広告。Mercuryというブランドは自動車メーカーフォードにおいて「大衆車ブランドのと高級車ブランドの中間」という中級~準高級車という立場のブランドだったとのこと)

・・・しかし夫のある秘密を見てしまったことにより彼女のすべては崩れてしまいます。そんな中、自分の家の黒人庭師であるレイモンドとふとしたきっかけから接することによって、その崩壊が止まろうとするのですが、そのことでさらに大きなものとキャシーは向き合わなければいけなくなります。

舞台は「恵まれた豊かな時代」と書きましたが、実はその裏には「理想」や「健全さ」のために生まれた、とても堅苦しい縛りや、大きい拒絶と抑圧がありました。

いま私たちが知っている大きなこととしては、黒人(又は有色人種への)への差別がまずありました。また他には同性愛を「病気」とするような偏見や制度も当時は存在していました。そして偏った「男性はこうあるべき、女性はこうあるべき」という「普通の理想的な市民」であることのへの保守的で大きな抑圧が、この時代にはあったのです。

・・・これらは「見えなくて、逃れられない」ものです。
実体がなくて、それでいて戦ったり、退けたりすることのできません。
そんなものを、どうしたらよいのか…。

キャシーは自分自身でそれと向き合います。
その「見えなくて、逃れられない」ものをしっかりと見つめて、
そして最後にはひとつの選択を導きだします。
『エデンより彼方に』はそんな物語です。

『マチネの終わりに』とは場所も時代もまったくちがうのですが、
こうやって改めて書くと、キャシーの姿に蒔野や洋子の姿を
思わずそっと重ねてしまっている自分がいます。
・・・失礼な話なんですけど…。

◇さて、ここまで書くと、「そんな重くて、辛そうなの耐えられない(-"-)」という映画に見えてしまうんですが、予告を見るとすぐあることがわかると思います。

この映画はホントに綺麗な画と曲でできているんです!

曲はエルマー・バーンスタインという20世紀を代表する映画作曲家が
80歳という歳で作曲しているのですが、特にテーマ曲は大御所としての壮大さを感じつつも、キャシーというひとりの女性の物語への繊細な優しさも感じられる名曲だと思います。

また画づくりもただ綺麗というわけでなく、それぞれの登場人物の心情や立場。物語の展開に合わせた細かくて巧みな色の選択がされています。
この色を見ながら画の向こう側の登場人物の心の中を想像する面白さがあるのもこの映画の特徴じゃないかと思います。

「100人見て100人泣けるという」お約束ができる映画ではないですが、大手レンタル屋さんには一本は置いてあると思うので、『マチネの終わりに』の単行本が完成する間にでも、よろしければ見ていただければと思います。


・・・学生の頃、アラン・レネ監督の『二十四時間の情事』を見て、
おわりにみんなで感想を言う授業で、教授を含めほぼみんなから「その感想はおかしい」と言わしめて以来、こうやって映画評?的なものを書いてみました。随分、長くなってしまいましたがご容赦ください(>_<)

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