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小説家とクラシックギター『マチネの終わりに』

人形を作り、それをつかった写真作品を作っているサイトウタカヒコです。楽器というものにはまるで縁がありません。(Portfolio Website:http://saitotakahiko.strikingly.com)

毎日新聞・note上で連載している平野啓一郎さんの新作小説『マチネの終わりに』との連動企画に参加しています。
先日、平野啓一郎さんとスペイン・中南米音楽の専門家で雑誌「現代ギター」にて批評もされている濱田滋郎さんとの対談イベントに足を運びました。
イベントの詳細は平野さんのブログの方にも掲載されています→(http://lineblog.me/hiranokeiichiro/archives/38151139.html)

対談は主人公の蒔野とクラシックギターを中心に話されました。80代も半ばであろうご高齢でありながら、濱田さんの言葉と説明はとても落ち着かれた言葉で、僕のような音楽の初心者にも分かりやすいものでした。

平野さんは小説家という職業とクラシックギタリストという職業の比較的個人での行動が多いという共通点などや、聴く人との距離が他のピアノやオーケスオトラ近いギターという楽器について触れ、「クラシックギタリスト」という主人公像が出来上がっていったことについて話されました。濱田さんもそのことに第五章でジャリーラのために蒔野がギターを演奏するくだりを上げて、あのシーンとクラシックギターのあいまった素敵さについて語りつつ、それに共感されていました。

・・・この企画をいただくまで、クラシックギターという楽器のことをよく知らず、小説の連載のはじめの頃は今一つそのイメージをつかむことができませんでした。小説や映画のなかの孤高の音楽家というと自分の中ではピアニストやチェリストのようなイメージがなんとなく強かったからです(なんとなくではなく「砂の器」「おくりびと」の影響ですね…)

しかし、それではマズイといろいろと勉強のためクラシックギターの曲をitunesで買ったり、実際コンサートを聴きにいくようになりました。
そのうちに先に書いた楽器たちにはない、それこそ第五章の終わりのシーンのように、隣に佇んでいるような優しさを持つ
クラシックギターの独特の魅力に徐々に惹かれるようになりました。

今は小説に出てくる「ブラジル民謡組曲」の2番をよく聞いています。はじめて入った路地を歩くような気持ちのよい曲です。
◇ブラジル民謡組曲 第2番(2:35のあたり)
(https://www.youtube.com/watch?v=RpJa5O076ec)


まだまだ演奏者や奏法などわからないことは多いですが、
こういう風に小説を読むこと以外の、下ごしらえというか予習のようなものがあってそれぞれのシーンの魅力や感動がぐっと増すのも『マチネの終わりに』の面白味のような気もします。

対談中に描いていた制作メモ、スケッチのようなもの。
一本の枯れ木とギター。
(本来、ギターはこんな木からできないというのはご愛嬌。)


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