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運命的な出会いのおわり「マチネの終わりに」

人形を作り、それをつかった写真作品を作っているサイトウタカヒコです。note上で連載されている平野啓一郎さんの小説「マチネの終わりに」のコラボクリエイターとして参加しています。(Portfolio Website:http://saitotakahiko.strikingly.com)

先週まで、人形制作とは別にお芝居の舞台照明を担当していました。
一昨日が千秋楽で、もちろんそこには昼公演(マチネ)もありました。

…今年のはじめにコラボレーション企画のお話をいただき、3月のはじめから平野さんの連載も7章にさしかかりました。第6章は一日一日の1ページが「今日、ふたりの間にに取り返しのつかない大きなヒビが入ってしまうのでないか」というような不安を感じてしまう展開で、読むためのマウスのクリックひとつにしても、どこか重さを感じてしまいました。

じぶんの経歴上、この10年間は小説よりお芝居や歌劇、歌舞伎の方との付き合いの方が親密だったと思います。
そのせいなのか「運命的な恋」には、どこか不幸な結末を結びつけてしまいます。

じぶんの職も恋人も捨てて、踊り子と一緒になってしまったスペインの兵士も、入れ違いを起こしながらも偶然巡礼先で再会することができた両想いの日本の2人の男女も、最後には死を伴った不幸な結末を迎えてしまいます。

これらは100年も前の物語ですが、逆の考え方をすると、悲劇的な物語たちを受け止める観客、ちょっと広げてその時の世界は多少は楽観的だったにしても平穏でそれなりに陽気な時代だったのかもしれないとも思います。

「今って世の中くらい事が多いじゃないですか。」平野さんは「マチネの終わりに」についての話をされるにあたり、何度かこのような言葉を言われていました。

そんな言葉の中で、不幸なのか幸福なのか「運命的に」出会ってしまった蒔野と洋子は自分や外の世界の中で、手探りで光が差す方向に思い悩みながら、向かおうとする様子は先の平野さんの言葉と平行する「祈り」の姿のような気がします。

昔見た映画で主人公の男が、田舎の町の本当かどうかわからない温水の湧き出る土地の端から端までを蝋燭の火を消さずに渡りきることで祈りが成就するという話を自らが眈々と試みるシーンがありました。

この先、この企画のための制作を行っていくわけですが、「祈り」のようなものをなにか自分の胸に思いつつ、作品を制作していければと思います。

写真は過去の作品を今回の習作として
若干、なおしてみたものです。

#マチネの終わりに


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