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渋沢栄一は日本資本主義の父か、はたまた政治家の原点か。

こんばんは、奥澤高広です。
今日は、友人に勧められて見たNHK大河ドラマ「青天を衝け」から、大きな刺激を受けました、という話です。


渋沢栄一とは…?

「青天を衝け」は、日本資本主義の父といわれる渋沢栄一の生涯を描いた大河ドラマです。
渋沢栄一といえば、「論語と算盤」で知られるように、道徳と経済をともに進めることの大切さ、今でいうところのSDGs的思考をもち、明治期の日本経済の発展に大きく貢献したことで有名で、来年7月からは一万円札の顔になることで広く一般に知られていることと思います。

正直にいうと、私もその程度のことしか知らなかったのですが、「青天を衝け」を見てみると、銀行や郵便、鉄道や郵船など、今となっては当たり前のありとあらゆる事業を展開し、東京商工会議所や東京株式取引所などの創設者にもなっています。
さらに、女性への高等教育の必要性を訴え東京女学館を設立したり、生活困窮者救済事業である養育院の設立するなど、当時の社会の在り方に対しても風穴を開けるような取り組みをしています。

なぜ政治家にならなかったんだ…?

見どころは沢山あるのですが、私の中で、特に響いた場面は、大隈重信の臨終間際のやり取りです。
大隈重信「渋沢君、なぜ君は政治家にならなかったんだい?
渋沢栄一「・・・

「・・・」には様々な解釈があって良いとは思います。何しろ、渋沢栄一は、青年期には尊王攘夷ののめりこみ討幕運動に参加するものの思いとどまり、徳川慶喜のもと幕臣として活躍。その後、大蔵省で働きながら、日本の制度を新しくすることに尽力をした時期もありました。
当時の首相らに対しても一切引くことなく、ぶつかり合う姿を見れば、確かに政治家としての生き方もあったのかもしれない、大隈重信の言うことももっともだと感じる人も少なくないかもしれません。

おかしれぇ社会をつくる

しかし、「・・・」に対して、私は別の解釈をしています。
それは、誰にとっても、おかしれぇ社会をつくろうと、市民一人一人の議論から生まれる新しい価値観やルールづくり=本来の政治を、実業家としてやり続け、実際に社会を変えてきた自負や誇りではないか、ということです。
まつりごととしての政治に心血を注ぎ、しかし、思うように社会を変えるに至らなかった大隈重信に対して、その言葉を飲み込んで、お互いにお疲れ様と打ち解けあった瞬間のように思えます。

ちなみに、「おかしれぇ」とは、おかしいとおもしろいを掛け合わせた江戸言葉で、渋沢栄一を取り立てた一橋家家臣・平岡円四郎の口癖で、私もとっても気に入っています。

さて、そんな渋沢栄一の飲み込んだ「・・・」を勝手ながら解釈したときに、私自身の胸のつかえも取れました。というのも、ここのところ「もう政治はやめた?」「これからも政治は続けるの?」という言葉をかけられることが増えていたからです。
私にとっては、政治家という職業には就いていないけれど、今もなお、あらゆる場面で、社会をより良い方向に変えていくために行動をしているつもりです。時間が許す限り街頭活動をするのも、障がい者福祉施設で働き農福連携プロジェクトを進めるのも、Instagramで魅力発信をするのも、その根っこは、誰もが生まれてきてよかったと思える社会=誰かが絶望したり、生きていくのをやめようと思ったりしない=誰にとってもおかしれぇと感じる社会をつくりたいというところに繋がっているということです。

私は、町田市長を目指しています。
それは、自分の思うおかしれぇ社会をつくるために一番良い道だと思うからです。でも、その場所にたどり着くまで何もせずに、あるいは選挙運動ばかりするわけではなく、そこに至るまでの間も、今できる最大限の政治をやって、今と次の時代にふさわしい社会をつくっていきたいと思っています。

とまぁ、最後は自分語りになってしまいましたね。お恥ずかしい限りです。
言うは易し、行うは難しと言いますが、目指す社会像を少しでも形にして目に見えるものとできるように、も少し頑張ってみます。

今にも青天を衝きそうな町田市内のハス


皆さんからサポートいただけると、「自分の経験が社会に役立ったのかな」と「書いてよかったな」と実感することができます。いつも、ありがとうございます!