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旅の目的地と生きた場所についての考察

書き出しに今日は、ネタ尽きるだろうと言おうとしたら、それほどレパートリーが豊富じゃないことに気づく。

今日は、何を書こう。

目的地を決めぬまま出発する。
若い頃「も」そんな旅をしていた。
「も」と言うのは、子どもが生まれた時、ちょうどコロナ禍の2020年にも目的地を決めずに旅をしていたことがある。

若い時に公務員試験を受けて筆記試験を全て通るも、面接で全て落ちると言うことがあった。
当時は、それなりにショックだった。たぶん。
当時付き合っていた女性は、学生時代から続いていた。
確か、5年目か6年目に入っていた。
大学卒業後に公務員試験の学習を始めて1日14時間ぐらい勉強に充てていた。
その間、彼女とどこかへ行くとかはなく待ってもらっていた。

僕が、公務員試験に全落ちしたことを彼女に告げた日のことを今でもはっきりと覚えている。
冷めた表情で、心底期待はずれで残念…
彼女からの言葉は、特になかった。
待たせた割に結果がとも合わなかったことに申し訳ない気持ちになった。

前置きが長くなったけれど、それで気分を変えようと思って旅に出た。
目的地は、決めずに西に行こうと。
関東から西へと電車を乗り継ぎ、着いたのは鹿児島県。
もう電車この先電車は、無いぞ。
ここが終着点か、と思ったがフェリー乗り場があるじゃないかと。

帰りのこともあったけれど、フェリーがあるなら乗らねばと。
近場で屋久島行きがあったので屋久島まで行くことに。
今では、スマホで何でも検索できるけれど、当時はガラケーで大した情報は得られなかった。
泊まる場所も決めずに屋久島へ。

屋久島に着くと縄文杉と言う樹齢何千年の杉があると言うことを知った。
到着したその日は、昼ぐらいだったが縄文杉を見に行くには、早朝から山道を行く必要があった。
泊まるところを探して、もと居酒屋で今で言う民泊のようなところに宿をとった。
寝床も居酒屋のお座敷に布団を敷いて寝るという斬新なスタイル。

と、縄文杉の旅は割愛する。

再び関東へ戻った。

公務員試験を多浪する人もいたけれど、面接で全落ちしてしまった自分が情けなかったのと、コミュニケーション能力の低さをどうにかしたいと言う思いと、彼女と距離を置こうと言う思いと、生きる場所を変えてみたいという思いやらなんかが単純に交錯していた。

西への旅をした翌年、当時アルバイト情報誌で紙媒体のFrom Aで仕事を見つけた。

ちなみに僕は、超氷河期世代。

沖縄で契約社員で塾講師を募集していたので応募。
より西へ、より南へと試験の翌年3月に沖縄へ移住をした。

彼女とは、それで別れようと思っていた。
遠距離も遠距離になるので。
それでも彼女は、3ヶ月に1回の頻度で沖縄に遊びに来た。
当時は、来てくれたと。
のちに学生時代から数えて8年付き合い、最後、彼女は、フランス人を次の相手に選んで僕の前から消えた。
消える前に、沖縄に僕が住んでいた頃、他の男性多数とデートをしていたことを告げられた。
告げなくてもいいのにね、と。
懺悔のつもりなのかは、分からないけれど聞きたくないことだった。

話が逸れた。
僕は、沖縄で1年間塾講師として勤務した。
勤務先の経営者が、賭博で捕まったり、生徒に手を出したりと言うのが前科にあって、正直この経営者の下で働きたくないというのが理由で1年で退職した。

沖縄は、僕の心身には良い場所でメンタルクリニックにも通院せずいられたし、花粉症も治った。

当時、25才くらいの年齢。
1年間、沖縄で過ごしてまた都内へ戻った。

何かやるべきことを見つけるために。
長くなったので、それはまた別の話に。

今は家庭を持ったのでフラリと目的地を決めずの旅は、なかなかできない。

最初に書いた、子どもが生まれた時の旅は、軽躁と生きるため。
あまり深くは、今は語りませんがそのうち書ける日もくるかもしれません。

目的地を決めない旅に出る時間が作れるか、否か。

本質的なことには、自分でも書くことを躊躇しますが、こうして書いていく中で何か発見できたらと思っています。

長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございます。

写真は、砂場と子どもと。

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