科學の終わり

大分ご無沙汰しました。

すでに旅から帰って、家でまったりしています。

いろいろありました。

思うところがたくさんあります。

旅の帰りに車を売っパラいました。

今、河野隆尋美術館を、また再開しようかな?などと考えています。

帰ってから、電力会社の電氣を使わない生活をしています。

管理人さんは、いぶかしがっていらっしゃいましたが、

ひとりキャンプみたいなものです、とか言ったら、なんとなく納得されたようです。

ガスも、カセットコンロです。

水は家の横の小川から毎朝汲んで、浴槽に水と無公害の洗剤で、足踏み洗いが日課になりました。

パソコンも処分して、現在は村のデジタル寺子屋という施設で、自給自足に向けて、いろいろ調べている毎日です。

スマホをなくしたと、前回申し上げましたが、現在は、1円スマホを買って、アマゾンミュージックなど聴きながら、

太陽と共に寝起きして、晴耕雨読の日々です。

本格的にお金のない生活は、流石に難しそうなので、

創作活動費という名の生活のためのお金を、どのようにしていただくかを思案中です。

まぁ、なんていうか、

呑氣にやっています。

車もなくてこんな田舎でどうやって移動してるの?

実は、帰り着くまで何も考えていなかったのですが、今年いっぱい、村内を無料のタクシーが走っていることを聞いて、

毎日使い倒しています。

出来ずきもいいとこですよね?笑

そして、今日、村から3,000円の補助が降りたので、小石原の道の駅で味噌や梅干しなどを買いました。

で、

多分もう、ブログもホームページもSNSも利用しないで、人々の口コミだけでわたしの藝術を広げていけるようになってきたみたいです。

人間の尊厳を見つめる旅は、まだ続いています。

本当に、自分の意識が変わったら、同じ絵でも評価が変わるという現象は不思議ですね。

既にわたしの藝術は絶対世界なので、あとは自分の意識が進化すれば、ひとかどのものをつかめるのは間違いありません。

で、黙示録の茶番も、大地と水と緑の中では何の力もありません。

シンギュラリティ?

屁みたいなものです。

政治ショーや河原乞食たちのチラチラも、わたしには関係ありません。

物価高もクソも、そもそもお金不要の世界なら影響は受けようがありません。

家中探しても金目のもの物が見当たらないので、うんと氣楽に生きられます。

物心ともに豊かな状態は目の前まで来ています。

絶望の状態になる前に、そのイメージが浮かんだので、あとは少しずつ良くなっていくばかりです。

ひょっとして、このブログに何か書くことがあるかもしれませんが、一円スマホもいずれ用済みになりそうな予感がします。

ジェームススキナーの無料ビデオだったかで、「テレビの中の事件事故はあなたの身にはには起こりません」と言ってたのを思いだしました。

信頼貸しの方々に、いっぺんに返済すべく、少し退行の必要があるみたいです。

しばらく、出稼ぎも良いさも?

あの、

この宇宙の運命は、わたし(あなた)の意識がヒャクパー変わるだけで救われるのです。

アセンション、啓蒙など、オワコンです。

既にわたしが決めてしまっていますので、現実化はまもなくなんですよ。

んで、申し訳ないことに、まだわたしに試練が残っています。

今までのホモサピエンスの歴史は、依存の一言で表わせるみたいです。

それでは皆さん、ごきげんよう。

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